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項目 内容
ID J0900442
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔泉大津市年代記〕○大阪府
本文
[未校訂]東山 宝永四年十月四日、大震災あり。和歌山を中心に和
泉一帯被害莫大であった。未刻(午後二時)から凡そ半時
(一時間)揺れつづき、大海嘯之に伴うて海辺の村々が混
乱を極めた。その時のある記録に「大津村牛頭天王社祠潰
れ、大津橋落ち候。震ひ止みてより潮波あがり、橋のあた
りまで汐入田と相成、かれ・こち・かに・たこ等多く泳ぎ
子供等集りて騒ぎ居候。宇多之荘(大津宇多・忠岡・上馬
瀬・板原)の被害・潰家四十二軒・破損家屋三百十一軒・
死人女二人、怪我人特に多し」とあり、又助松村明細帳に
は「宝永四年、弐枚池堤之内、地震崩長延八拾間」とあっ
て、各所に相当大きな被害のあったことが知られる。
和田義翁の坐右録にもこの日の記事を載せている。採録し
て参考に供しよう。
宝永四年亥十月四日未の刻より地震半時斗りゆる、其音夥
敷事大地も破レ大山も崩れ大海も傾き川水も梢に登るが如
くなり。土砂の立事火事の如く、地震ゆり納りて堂社民家
の鳴音半時斗り止ず、此有様筆紙に尽し難し。堂社の崩レ
しに押に打れ死る者、数不知、時に大阪は大塩大津波地震
も収り、皆人心を静むる所に西の方と思しくて大きに鳴音
しければ又ゆり返しかと心も空に成処に西海夥敷鳴渡りて
大山の如く大潮さし込、沖ニ有大船川口へさし入てその儘
橋を打越て登る舟五艘、其外堀に塩水高くして在家ことご
とく水におぼれ、橋々は大船小舟に打落され人の通はなか
りけり。大阪騒動上を下へと交返す、前代未聞の事ニ而橋
より落而死る人、押に打たれて死る人、小舟に乗て逃る
者、大船にしかれて死る人、水に巻れて死る人、其数かぞ
へがたし。住吉大塩、尼ケ崎御城内破損、泉州紀州其外海
べの在所ハ多く津波にとられ死人多し。四十七年已前寛文
二年壬寅の五月朔日大地震ゆるといへどもケ程の損亡はな
し。廿二日より晦日迄一日ニ二度三度ゆらざる日なし、晦
日に余程の大地震ゆる。此後はゆらず。
記事やゝ誇大の感があるけれど、その惨禍の状、察する
に余りがあろう。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 372
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
市区町村 泉大津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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