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項目 内容
ID J0900427
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔只見町郷土史資料四〕
本文
[未校訂](寛文以来万覚書)
[上方|かみがた]地震ニて、[堺|さかい]・大阪其外浦浦損候ハ、宝永四年亥ノ十
月匹日ノ匹ツ時分ゆり、[并|ならびに]、八ツ時分つなみニ而、四国・
西国・熊野浦・大阪大分ニつなみニひかれ、海中共ニ人損
候由。同年十一月廿三日ノ晩ゟ、ふち(富士)山[焼|やき]、[煙|けむ]りニて、[武|む]
[蔵|さし]・[相模|さがみ]くらやみになり、[夜昼|よるひる]共ニちゃうちんニ而、三四
日あるき申候。毎日、近国砂(灰)降り申ニ付而、さしかさをさ
し上下致候由。何辺(なにへん)、暮中迄け[ふ|む]り[晴|はれ]切り[不申由|もうさざるよし]。[其付|それにつき]、
砂割銭と而、百石ニ弐両宛割銭諸国ゟ出申候
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 353
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福島
市区町村 只見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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