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項目 内容
ID J0900421
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔橋本市史 中〕○和歌山県▽
本文
[未校訂]「十月四日未上刻、道七八町あゆみ候ほとの内、老人も覚
無之ほどの大地震、地一二寸づつ割れひびき、地方にては
床よりどろ水砂土など吹き出す、家々ゆがみ潰れ申も有
之。」(「才蔵日記」)これは十月一日から同九日まで、二見
清右衛門とともに、市原村(旧妙寺町)付近の新井を検分
していた途中の情況を日記に書いたものであるが、激震の
一端はうかがうことができる。「本県のこの地震による被
害は倒壊家屋二万九、○○○戸、死者四、九〇〇人」(「和
歌山史要」)とあり、地震の発生時刻は午後二時から二時
半ごろの間で、震源地は紀伊と阿波の中間から七、八キロ
メートル南方海底であったと伝えられている。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 349
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 和歌山
市区町村 橋本【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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