[未校訂]○名草郡大野荘日方浦村の条
京都平野の者当浦の海面南北五町東西十町余り堤を築き鹵(塩)
田を作り京浜といひしを宝永四年洪波の為に頽壊す今も干
潮には堤の形なと見ゆといへり。
(中略)
○産土神社 村より東の山崖にあり、天正十三年の兵火に
焼失して後慶長の初再興あり其後宝永四年高波のとき今
の里神の境内に移し祀る。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0900409 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28 |
和暦 | 宝永四年十月四日 |
綱文 | 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕 |
書名 | 〔同書十九〕▽ |
本文 |
[未校訂]○名草郡大野荘日方浦村の条
京都平野の者当浦の海面南北五町東西十町余り堤を築き鹵(塩) 田を作り京浜といひしを宝永四年洪波の為に頽壊す今も干 潮には堤の形なと見ゆといへり。 (中略) ○産土神社 村より東の山崖にあり、天正十三年の兵火に 焼失して後慶長の初再興あり其後宝永四年高波のとき今 の里神の境内に移し祀る。 |
出典 | 新収日本地震史料 第3巻 別巻 |
ページ | 346 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | |
市区町村 |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る
検索時間: 0.004秒