Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J0900387
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔埴田区誌〕○和歌山県▽
本文
[未校訂]宝永年間の大津波後の防波堤
 古来我浜端へは大波の時は宅地へ海水が浸入するので宝
永の大津波後拝殿百五十四番地湯川家西側浜端千七百四十
番地から熊野街道に沿うて南下、同千七百二十二番地辺ま
で石垣の防波堤を築いてあった。
(中略)
 予の子供時代には高さ凡そ一間、厚さ一間程あったが街
道は置き土でだんだん高くなり石垣の頂点の石は次第に減
じ、現在は半分以下の高さとなり厚味も内部の石垣を除去
したからただ街道に面したばかりとなった。如斯昔の面影
は変っているけれども矢張り宝永大津波の記念物であるか
ら此石垣も永久に残したいものである。
 津浪にて山内村の人家悉く流失す。此津浪は我区ウズワ
南田口魚の尾に押し寄せ、此山ろくに魚の尾が漂着したの
でそれから魚の尾の地名となったのである。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 337
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 和歌山
市区町村 南部【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.002秒