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項目 内容
ID J0900211
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔ふるさと豊田〕○静岡県豊田町
本文
[未校訂]元禄十四年(一七〇一)と宝永四年(一七〇七)の再度の
津波で今切口がだんだん大きくなって一里にも及び大口を
あけてしまったので太平洋の波が直接打ち寄せるようにな
って、この一里の渡海をさけて、姫街道の道を利用した。
「[法螺|ほら]でない荒井の津波路」とは、舞坂・新居間の海の危
険度を言ったもので、この渡船の危険を避けて姫街道を利
用した。
(年表中)
一七〇七、宝永一〇、大地震あり 天竜川堤防割れ用水路
埋没農道割れ通行不能となる。気子島村七軒転壊す、海岸
大津波袋井全潰見付浜松半潰し翌日も余震あり、10(ママ)・5、
宝永山ができた。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 187
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村 豊田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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