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項目 内容
ID J0900181
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔駿国雑志〕▽
本文
[未校訂] 宝永の地震 同年十月四日未刻大地震、同五日申刻大地
震、両度之地震ニ而御城中所々大破損、別而三曲輪御石垣
数ケ所大破大崩し、依之右為御見分、同月十二日若年寄稲
垣対馬守駿府来着 御城
 宝永山の隆起 内御見分有之候、同年十一月廿三日より
十二月八日之夜迄富士焼数十里四方へ灰砂降り、一両日以
前より昼夜震動不止、夥敷震候而焼抜ヶ吹出し申候 焼砂
一里四方程の山、富士の東の方に出来申候是を宝永山と申

 城の修覆 御城就地震及大破候に付為見分到着之
面々
御普請奉行 小普請奉行 小普請方
水野権十郎 間宮播摩守 石川伝太郎
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 170
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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