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項目 内容
ID J0900016
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔伊藤氏(東涯)家乗之二〕古義堂文庫
本文
[未校訂](宝永四年)
○十月四日ノ八過京地震家人携後庭ニ出暫あつて止安静
也、愛宕(カ)ノ石灯呂倒と云々、道三屋敷ノ門たおる
十月四日之地震ハ同時に諸国とも少々軽重は有之候得と
も一同ニ地震す、取分大坂・土佐・伊勢・紀国・熊野・遠州
すし夥敷由何も海辺之国ニ而津浪打あけ圧溺候而死傷之
輩多之、四十六年以前之地震以来也、大坂にてハ其後数
日毎日幾度も地震、九日迄に死人弐万□千人と公義に書
付上ル土佐は二十四万石之処六万石ほとゟ無之と 
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 65
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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