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項目 内容
ID J0804029
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1766/03/08
和暦 明和三年一月二十八日
綱文 明和三年正月二十八日(一七六六・三・八)〔津軽・陸奥〕⇨翌年に及ぶ
書名 〔金木郷土史〕○青森県
本文
[未校訂]㈦ 明和の大地震と金木組の被害
明和三年正月二十八日酉之刻午後六時より揺り始めた地震
は、暁方迄に廿度余に及び、津軽藩に於ては最も猛烈を極
めたる空前の大地震で、其の被害は左記の様な次第であっ
た。

一役所 十四ヶ所
一青森陣屋 一ヶ所
一寺 三十ヶ所
堂社 十七ヶ所
一潰家 五千四百九十七軒
一棚店六百八十二軒
一焼失家 二百五十軒
一焼失土蔵 六十六ヶ所
一出家死 十三人
一焼死 三百一人
一馬 四百四十七疋
一焼失寺 四ヶ所
一半潰家 三百五十五軒
一土蔵 百九十八ヶ所
一男女潰死 千一人
一山決崩死 九人
一男女怪我 百五十三人
右は幕府へ報告せる概要であるが、金木組及金木新田に於
ける被害は左の通りであった。
因に各組別の被害調は最近弘前市新町岩見家に於て発見さ
れたもので、余り世間に知られてゐない珍資料である。
金木組
△潰家六十八軒 △潰死男三人、女五人 △潰斃馬三疋
△大橋痛損三ヶ所△溜池痛損五ケ所 △水除堤痛損十三
ヶ所△金木村妙隆寺妙乗寺の間違ならん一ケ所潰 △庵一ヶ寺潰
△中里村弘法寺大破
金木新田
△潰家二十八軒 △潰土蔵二ヶ所 △焼失家二軒 △潰死
男女二人 △富野村般若寺一ケ寺潰 △豊岡村庵一ヶ所潰
以上(津軽震災資料)
参考
㈠当時の戸数及人口
金木組
△村数二十四ケ村△家数千二百三十余 △人数九千四百
五十余
金木新田
△村数十八ヶ村△家数六百余 △人数三千二百六十余
(平山日記)
㈡藩公罹災民を賑恤す
屋形様七代信寧公地震にて死亡焼失極難之者を不便に被為思
召、御目付鳴海此右衛門を以て御金千両手当として被下
置候処、一人に付二十匁余に相当窮民殊外相悦べり。
(梅田村彦六家記)
註 ㈠鳴海此右衛門は鳴海祐清医師第七代目の方である。
㈡当時の米価=一匁に三升七八合乃至四升五合の時代
であるから、二俵位買ふ事が出来る。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 698
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 金木【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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