[未校訂]三 寛延四年の津波
寛延四年の津波は五月二日の未の刻に襲来してゐるが、
何の程度のものであったかは明でない、只僅に「大槌官職
記」に依ってその一斑を知り得るに過ぎない、即ち
寛延四年辛未年五月二日未の刻より浦々大潮七度、小潮
五度指入、浦々民家へは敷板迄より、田畑水の下に相
成、四日町、八日町、向川原裏道海の如く、酉の刻潮
引、人馬怪我無之、御目付所御勘定所へ此の段訴
之には地震があった事も記してゐないし、潮が差して来
てから平常に帰る道四時間もかゝってゐたりする所より見
ると従来の津波とはかなり趣が違っている。殊に此の年の
津波の事は他の記録には全然見られない事等から見ても津
波と称する程のものではなかったのかもしれない。又潮の
高さが「浦々民家の敷板迄」の程度であり、人馬に怪我の
ない所等から考へても―仮りに津波としても―南部藩五度
の津波中最も弱いものであつた事は想像に難くない。