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項目 内容
ID J0803421
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/26
和暦 寛延四年五月二日
綱文 宝暦元年五月二日(一七五一・五・二六)三陸→津波
書名 〔岩手県津浪史 一〕
本文
[未校訂]三 寛延四年の津波
寛延四年の津波は五月二日の未の刻に襲来してゐるが、
何の程度のものであったかは明でない、只僅に「大槌官職
記」に依ってその一斑を知り得るに過ぎない、即ち
寛延四年辛未年五月二日未の刻より浦々大潮七度、小潮
五度指入、浦々民家へは敷板迄より、田畑水の下に相
成、四日町、八日町、向川原裏道海の如く、酉の刻潮
引、人馬怪我無之、御目付所御勘定所へ此の段訴
之には地震があった事も記してゐないし、潮が差して来
てから平常に帰る道四時間もかゝってゐたりする所より見
ると従来の津波とはかなり趣が違っている。殊に此の年の
津波の事は他の記録には全然見られない事等から見ても津
波と称する程のものではなかったのかもしれない。又潮の
高さが「浦々民家の敷板迄」の程度であり、人馬に怪我の
ない所等から考へても―仮りに津波としても―南部藩五度
の津波中最も弱いものであつた事は想像に難くない。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 558
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岩手
市区町村 盛岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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