[未校訂]火よけ土手
卯年の満水から四年後の宝暦一(一七五一)年も、頸城
一帯の人びとを驚かせた。四月一一日には、大風で家を多
く損じたところ、二五日の夜には大地震となった。長願寺
過去簿では、高田六、〇〇〇戸皆つぶれ、火災が四か所か
ら起こり、一、三五七人死ぬとし、時の鐘(かね)も落ち
て、地中に四尺もめりこんだとある。今町も家が皆つぶ
れ、死人四六三人で、大地割れて水を吹くこと、川の如し
と恐れている。この時にまた、名立崩(なだちくずれ)が
あり、名立小泊村が一〇〇戸余つぶれ、死人が五二四人
で、牛馬も残らず死んだ。その上、うしろの山が抜け出
て、海に入った。そのほかの村々在々も多くつぶれ、死人
もまた数知れずだ。それから七月二〇日まで一か月の間、
地震が幾つもあり、山抜けも所々にあった。「恐るべし、
恐るべし」と、くりかえし記しているほどだ。