Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J0803372
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔青海〕○新潟県
本文
[未校訂]火よけ土手
 卯年の満水から四年後の宝暦一(一七五一)年も、頸城
一帯の人びとを驚かせた。四月一一日には、大風で家を多
く損じたところ、二五日の夜には大地震となった。長願寺
過去簿では、高田六、〇〇〇戸皆つぶれ、火災が四か所か
ら起こり、一、三五七人死ぬとし、時の鐘(かね)も落ち
て、地中に四尺もめりこんだとある。今町も家が皆つぶ
れ、死人四六三人で、大地割れて水を吹くこと、川の如し
と恐れている。この時にまた、名立崩(なだちくずれ)が
あり、名立小泊村が一〇〇戸余つぶれ、死人が五二四人
で、牛馬も残らず死んだ。その上、うしろの山が抜け出
て、海に入った。そのほかの村々在々も多くつぶれ、死人
もまた数知れずだ。それから七月二〇日まで一か月の間、
地震が幾つもあり、山抜けも所々にあった。「恐るべし、
恐るべし」と、くりかえし記しているほどだ。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 532
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒