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項目 内容
ID J0803359
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔津川姿見〕「越佐叢書 三」
本文
[未校訂] 一宝暦元未年四月廿五日、越後高田領大地震にて人多く
死す。この夜中、津川も常ならざる地震なり。但し家は
禿れず、土蔵共は壁皆々割る。新善光寺墓所の石塔九十三
本倒る。五月朔日まで昼夜五、七度ばかり。毎日の地震な
り。諸国一統の地震の由。その頃津川より参宮の者京都滞
留のみぎり、二条の御城塀廻りの壁共残らず割る。愛宕山
の石燈籠過半倒る。京都近辺共に毎日五、七度計りづつ廿
日程の内地震。また、越後方は地方五寸、七寸位の口に割
る。これは所々にて是の如し。別して越の頸城郡の内大痛
み、能(のう)村という一在所残らず海へ山抜けて押出し、
人馬残らず死す。今わずかに十二軒出来す。鉢崎村の辺所
々山抜けて往還痛むなり。高田の城下共数百軒倒る。誠に
大地震なり。あらましを記すなり。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 507
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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