[未校訂]閏四月二日
一夜中地震丑ノ刻ゟ夘ノ中刻迄地震度々ニ而候得共御城内別条之儀無之段御普請奉
行衆ゟ注進有之且又御作事奉行矢田尉右衛門御奉行所江
被罷出御普請場御櫓替儀無之由被申聞候付御月番并残御
家老中弥左衛門殿江手渡ニ而相達候事
一御花畑別条之儀無之段星郷加右衛門御裏方ゟ注進有之候
ニ付御城内并御花畑御別条之儀無之段御側方へ茂申達候
事
一御花畑御座敷奉行杉浦清右衛門方江御花畑御別条無之之
段様子被申越候様にと申遣候事
一御作事所御目付児玉四郎兵衛方被罷出御城内御別条無之
由注進被仕候事
一当御寺江小文を以様子承候処別条無御座段申来候事
閏四月十一日
一今度地震ニ付於長国寺御祈禱被仰付候処就之御札以使僧
差上被申候事
但使僧順古 神護寺
弥勒寺
魂丸済宮
右は今度地震ニ付於藤崎御祈禱被仰付候処就之御札右三
人持参指上被申候事
閏四月十二日
(前略)今度地震ニ付阿蘇宮内権太輔衆徒行者藤崎宮長
国寺ニ而御祈禱被仰付候就之御祈禱料左之通ニ候(後略)
閏四月十四日
一今度地震ニ付阿蘇宮并衆徒行者ニ而御祈禱被仰付候依之
成就之御札使者惣代を以被差上候(後略)
閏四月廿日 町奉行中
御奉行所
阿蘇山上御繕之儀衆徒年行司ゟ□損出并口上之覚書共頃
日被指越候右書付之内今度之地震ニ付而衆徒中寺々大破
仕何茂貧寺故繕等茂難仕候ニ付
公義官例之御祈禱会所之儀当分寺家の様子ニ而は勤兼候
間内々被申上候(後略)
五月十七日
阿蘇山衆徒善性坊屋輔先頃之地震ニ崩候処ニ此間之雨ニ
而猶以崩添申候当分之儘ニ而召置候ては難成ニ付土留仕
度候得共貧寺ニ而力及不申候(後略)
六月廿六日
阿蘇衆徒中ゟ寺院破損仕居候処去秋之大風先頃之地震ニ
而弥以及大破同分(当)之修覆難成由ニ而拝借願之書付指出旨
先頃被差出候(後略)
七月晦日
阿蘇山上本堂近々御繕被仰付筈ニ付御本尊様御遷座之入
用物品々衆徒年行司書付弐通昨日被差越御勘定所江今沙
汰(後略)
(宝永三年)二月八日
去度就地震阿蘇宮内権太輔宅不残及破損候得共不勝手ニ
付取繕難成候(後略)
(注、宝永二年閏四月二日の地震に関するものと考える)