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項目 内容
ID J0602947
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1694/06/19
和暦 元禄七年五月二十七日
綱文 元禄七年五月二十七日(一六九四・六・一九)〔羽後・津軽〕
書名 〔黒甜瑣語〕
本文
[未校訂]風木風水の変を説は堪輿家の言に似たれども、元禄甲戌
(註、元禄七年)の夏のはじめ、停代の浜に俄に大なる風
木出たり、高さ小山にひとしければ、恠しみ見にゆく者引
もきらす。同じく五月二十七日辰の刻大地震ひ出し、千五
百軒甍をならべし家並将棊倒を見ることくなりし中、火烟
八方より燃え立つ、折しも海風はけしく、家千二百二十
軒、倉廩百六十二戸、米穀一万五千九百石、男女三百余人
或は焼却し或は潰れ土中へ陥りなとして烏有となれり。其
佗秋田山本二郡の耗損いかほとならん。委しきは岡見青籠
翁の柞山峯の嵐に見ゆ、中にも扇田鶴形のほとり甚しかり
と云へり。天明のはしめ扇田村の川岸の欠し所より土中に
埋りし家の出たる事あり、さしもの大廈にして朽残れる
が、間こと間ことのもやうは梵刹の構なり。机硯の類も出
て家♠の類別して其儘なるに取上れば脆き事云ふばかりな
し。昔土中へ陥りし家ならん。安永庚子(註、安永九年)
六月十八日夜の震も未曾有の事なり、一衣を着て逃出し人
はなかりしとなり。山の手五段坂(神社にたむける所必ず
この坂あり爰も八幡遙拝の所)の流なと大地の裂し事夥
し。此時しも或釣客寺内の傘礁(からかさいは)の辺に夜
釣せんとて居たりしか、黄昏ちかきより時々海中か鳴動す
るやうなり。かゝる所へ柴積し舟来りしか、舟人声をかけ
て今宵こそ海嘯なんよるらめ、あの海の鳴を聞れ候ひし
か、はやはや帰りもよほし給へとすゝめて漕ゆく。釣客は
年より年に釣してたのしみ遊ぶなるか、何程の事あらんと
て居たる所、ふしぎや丑の三つはかりに少しの微雲もなき
に空に一点の星なくなりて甚た怪しみ思ふに、鳥海山の方
を見れば星はのこらす其処に聚りけり。是はけしからすと
思ふ折から、忽ち天地鳴動して後の岩壁小山のこときかわ
りわりと崩れかゝりしかは、釣客はすくさま川へ飛ひ入り
水中をくゝり、向ふの中洲へやおら盲さかしに這ひ上りた
れとも、震とも津なみとも知らす、今や坤軸もぬけんかと
おもひ戦慄ひてすくみ居たりしか、以前の舟もすさましき
今宵の光景と少し川下へ舟かゝりして泊りしゆゑ、人音の
しけれは、直さま声をかくるに、舟人今宵旦那(土人下賤
の者人士を呼ぶ称)にこそあらんとて来り救ひしなり。此
時しも若し涯(きし)に狼狽するならは、巌潰と同しく水
中へはめらるへし。川へ飛入しはかりにて蜑の命拾ひし釣
客が物語予直に聞り。
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 492
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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