[未校訂]風木風水の変を説は堪輿家の言に似たれども、元禄甲戌
(註、元禄七年)の夏のはじめ、停代の浜に俄に大なる風
木出たり、高さ小山にひとしければ、恠しみ見にゆく者引
もきらす。同じく五月二十七日辰の刻大地震ひ出し、千五
百軒甍をならべし家並将棊倒を見ることくなりし中、火烟
八方より燃え立つ、折しも海風はけしく、家千二百二十
軒、倉廩百六十二戸、米穀一万五千九百石、男女三百余人
或は焼却し或は潰れ土中へ陥りなとして烏有となれり。其
佗秋田山本二郡の耗損いかほとならん。委しきは岡見青籠
翁の柞山峯の嵐に見ゆ、中にも扇田鶴形のほとり甚しかり
と云へり。天明のはしめ扇田村の川岸の欠し所より土中に
埋りし家の出たる事あり、さしもの大廈にして朽残れる
が、間こと間ことのもやうは梵刹の構なり。机硯の類も出
て家♠の類別して其儘なるに取上れば脆き事云ふばかりな
し。昔土中へ陥りし家ならん。安永庚子(註、安永九年)
六月十八日夜の震も未曾有の事なり、一衣を着て逃出し人
はなかりしとなり。山の手五段坂(神社にたむける所必ず
この坂あり爰も八幡遙拝の所)の流なと大地の裂し事夥
し。此時しも或釣客寺内の傘礁(からかさいは)の辺に夜
釣せんとて居たりしか、黄昏ちかきより時々海中か鳴動す
るやうなり。かゝる所へ柴積し舟来りしか、舟人声をかけ
て今宵こそ海嘯なんよるらめ、あの海の鳴を聞れ候ひし
か、はやはや帰りもよほし給へとすゝめて漕ゆく。釣客は
年より年に釣してたのしみ遊ぶなるか、何程の事あらんと
て居たる所、ふしぎや丑の三つはかりに少しの微雲もなき
に空に一点の星なくなりて甚た怪しみ思ふに、鳥海山の方
を見れば星はのこらす其処に聚りけり。是はけしからすと
思ふ折から、忽ち天地鳴動して後の岩壁小山のこときかわ
りわりと崩れかゝりしかは、釣客はすくさま川へ飛ひ入り
水中をくゝり、向ふの中洲へやおら盲さかしに這ひ上りた
れとも、震とも津なみとも知らす、今や坤軸もぬけんかと
おもひ戦慄ひてすくみ居たりしか、以前の舟もすさましき
今宵の光景と少し川下へ舟かゝりして泊りしゆゑ、人音の
しけれは、直さま声をかくるに、舟人今宵旦那(土人下賤
の者人士を呼ぶ称)にこそあらんとて来り救ひしなり。此
時しも若し涯(きし)に狼狽するならは、巌潰と同しく水
中へはめらるへし。川へ飛入しはかりにて蜑の命拾ひし釣
客が物語予直に聞り。