西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
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項目 |
内容 |
ID |
J0601429 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1666/02/01
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和暦 |
寛文五年十二月二十七日 |
綱文 |
寛文五年十二月二十七日(一六六六・二・一)〔越後〕八王子⇨二十九日 |
書名 |
〔糸魚川市史 二〕○新潟県
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本文 |
[未校訂]高田/大地震 寛文五(一六六五)年一二月二七日午後三 時~七時に、高田地震が大きくゆれた。雪 が四・二四メートルもあって、火攻め・雪攻めで、城も城 下町も壊滅した。死者も一、五〇〇人を越え、家老の小栗 正高(おぐり=まさたか)と荻田隼人(おぎた=はやと) も圧死である。 隼人は居城の糸魚川を二四日に出立し、高田城における 歳暮の儀式に出向いたのである。雪中のすごい難路で、二 六日に名立(なだち)の山へかかると、乗っていたソリが 折れてしまった。不吉の前兆と大いに気にかかったという が、案のじょう翌日には罹災である。以上の二人の家老の 跡をついだのが、小栗美作(おぐり=みまさか)と荻田主 馬(おぎた=しゅめ)で、震災の復興には大いに努めたの である。
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出典 |
新収日本地震史料 第2巻 |
ページ |
319 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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都道府県 |
新潟
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市区町村 |
糸魚川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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