[未校訂] 廿一、寛文二年寅五月朔日明方、空くもり梅雨の気色に
てそほふりける。四つ時大に鳴動し地震甚強く、人々肝を
けし何の弁もなく、世は滅するとなきさけひ、老を助け幼
を引すり、街道の場中に出す。念仏、妙法思ひ〳〵に唱
へ、生ける心地はなかりし。大ゆり二時はかりにて、小ゆ
りは間もなく止事なし。地は所々割れひゞれ、所により大
われは下より泥を吹上け申に付、戸板を持出、外に畳を敷
居たり。晩景漸々鎮りて海の汐大に引けれは、やかて津波
打まくるといつくともなく云出て諸方さわきたち、後瀬
山・高成寺・常高寺・西福寺山へおもひ〳〵に逃走る。此
時金銀家財打捨置けり。日を経てもうせたるものなしと
そ。右の躰にて街道に小屋をかけて暮しける人々、気をへ
らし心をつひやし、折から取々異説ありて恐れし。就中む
くりこくりと云鬼とも世を取に来て如斯と云、又大きなる
入道坊ン、色紙短冊をうりにありくへし、取あひ申間敷と
云、はう〳〵見たように沙汰申、弥恐れをなし、諸人死を
極て歎ぬ。同十五日の夜五つ時大地震有、五月中は日夜五
三度つゝはよほとの地震止す。三十日過てよふ〳〵小屋を
はなるゝ。此節窪田何某と申老人、津波は東南の海には
有、北海には有ことなしと申により、聞者少し安堵いたせ
しと也。地震初てゆり出す時、大蔵小路・安良町辺に荷付
馬多くつなき置、家根より石落、是に驚きおのれと綱を
切、かけはなれ出、此さわき甚し。突抜町に壱人屋根石の
落るにあたり怪我有。川崎町の末ニ家六軒立並て有、此六
軒残らす一度に潰れ、老人壱人死す。此外子細なし。
廿二、土橋落し故六月祇園会舟にてかよひ有、今度の地
震は江州保坂より朽木谷の間に一軒もつふれさるはなし。
朽木様門のかぶきに打れ死去被成、まちい・ゑの木と云
二ヶ村山さけて飛、壱人も残ものなく下になりたると也。