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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J0601248
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1662/06/16
和暦 寛文二年五月一日
綱文 寛文二年五月一日(一六六二・六・一六)〔山城・大和・河内・和泉・摂津・丹波・若狭・近江・美濃・伊賀〕駿河・三河・信濃・伊勢・武蔵→十二月まで余震
書名 〔拾椎雑話〕○小浜
本文
[未校訂] 廿一、寛文二年寅五月朔日明方、空くもり梅雨の気色に
てそほふりける。四つ時大に鳴動し地震甚強く、人々肝を
けし何の弁もなく、世は滅するとなきさけひ、老を助け幼
を引すり、街道の場中に出す。念仏、妙法思ひ〳〵に唱
へ、生ける心地はなかりし。大ゆり二時はかりにて、小ゆ
りは間もなく止事なし。地は所々割れひゞれ、所により大
われは下より泥を吹上け申に付、戸板を持出、外に畳を敷
居たり。晩景漸々鎮りて海の汐大に引けれは、やかて津波
打まくるといつくともなく云出て諸方さわきたち、後瀬
山・高成寺・常高寺・西福寺山へおもひ〳〵に逃走る。此
時金銀家財打捨置けり。日を経てもうせたるものなしと
そ。右の躰にて街道に小屋をかけて暮しける人々、気をへ
らし心をつひやし、折から取々異説ありて恐れし。就中む
くりこくりと云鬼とも世を取に来て如斯と云、又大きなる
入道坊ン、色紙短冊をうりにありくへし、取あひ申間敷と
云、はう〳〵見たように沙汰申、弥恐れをなし、諸人死を
極て歎ぬ。同十五日の夜五つ時大地震有、五月中は日夜五
三度つゝはよほとの地震止す。三十日過てよふ〳〵小屋を
はなるゝ。此節窪田何某と申老人、津波は東南の海には
有、北海には有ことなしと申により、聞者少し安堵いたせ
しと也。地震初てゆり出す時、大蔵小路・安良町辺に荷付
馬多くつなき置、家根より石落、是に驚きおのれと綱を
切、かけはなれ出、此さわき甚し。突抜町に壱人屋根石の
落るにあたり怪我有。川崎町の末ニ家六軒立並て有、此六
軒残らす一度に潰れ、老人壱人死す。此外子細なし。
 廿二、土橋落し故六月祇園会舟にてかよひ有、今度の地
震は江州保坂より朽木谷の間に一軒もつふれさるはなし。
朽木様門のかぶきに打れ死去被成、まちい・ゑの木と云
二ヶ村山さけて飛、壱人も残ものなく下になりたると也。
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 265
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 小浜【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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