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項目 内容
ID J0601100
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1659/04/21
和暦 万治二年二月三十日
綱文 万治二年二月三十日(一六五九・四・二一)〔会津・下野〕
書名 〔塩原温泉誌〕
本文
[未校訂]源三窟(中略)万治二年晦日の地震に洞窟所々崩壊し洞口
より凡三十間の先には通ずる能はず(後略)
古湯本(中略)万治二年二月晦日の大地震に六ケ処の温泉
都て塞り人家率ね崩壊して人畜の死傷も少なからず唯一の
梶原湯を余したるのみ其の惨状実に名状すへからず居民既
に生計を失ひ浴場も遂に回復すへからざるに依り二十三年
を経て天和二年三月十七日に至り十六戸の温泉宿は今の新
湯の温泉場に移住し旧業を営みしが他の六十八戸は離散し
て上下塩原、高原、塩竃、古町、門前、太田原、真岡等の
各地に転し或は旧業を営みしもあり或は然らさるもあり古
湯本の一村全く荒凉の境と変し去り、来り尋ぬる客も絶た
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 199
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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