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項目 内容
ID J0600377
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1625/07/21
和暦 寛永二年六月十七日
綱文 寛永二年六月十七日(一六二五・七・二一)〔肥後熊本〕
書名 〔欽古雑話〕
本文
[未校訂]○問熊本の大城はしめ加藤殿つかせられしより此かた何のつ
ゝがもなく今の通りニ侍りしにや 寛永二年六月十七日の
夜大なゐゆり天守ハさら也城内の家から木立斗残りかハら
ひき物こと〴〵くおちくづれ城中に人五十人程死し塩硝蔵
ともすりに火出て跡もなくふきちらし五丁八丁か内の家と
もゆりたふしふきちらし八万斤がうへも入たる塩硝のもえ
あかりたるなれハ石壁もくつれ瓦なとハ五里六里か外ニ吹
とハしおひたゝしき事に侍りし由其比小倉よりつかハされ
し脚力の足軽かへりて申たりし事を伝へ承りぬその後寛永
九年我君の御有となりしよりこのかた何のつゝがもおハ
しませず今よりをちつかた千世万代に栄えましまさん事の
めでたさよ是といふも
御代〳〵の御いつくしみ天地ニゆきとほらせ玉ヘハ上下の
神礼も幸ひ玉ふにこそかゝる[御恩|ミタマ][頼|フ]の蔭に居てやすらかに
己か世々を経ぬるおもヘハ寝ても覚ても真心をつくしてつ
かへまつらん事をわするましき事にそ侍れ
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 112
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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