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項目 内容
ID J0600165
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1605/02/03
和暦 慶長九年十二月十六日
綱文 慶長九年十二月十六日(一六〇五・二・三)〔東海・南海・西海諸道〕⇨大津波伴う
書名 〔土佐古今大震記 全〕
本文
[未校訂]慶長年間の大震
白鳳地震の後 九百二十年を経て後陽成天皇の御宇 慶長
九年といふに 又土佐に大震災起る 今回も 其震害の
区域は 四国一帯 九州 本州南部に亘る広汎なる地域
にして 其の上大津浪も伴うて起り 損害実に無算なり
しものゝ如くなれとも 山内氏土佐入国以来 両三年を
経さることゝて 未だ国中安堵の遑なき折柄なりしかは
従って古記録も十分ならされは 詳かに其真相を知りが
たしといへとも 諸種の材料を 書き蒐めて こゝに採
録す
偖も讃岐国福家住人権大僧都暁印といふ僧 当時 土佐国
安芸郡喜佐(佐喜)浜村の談議所に寓居したりしか其時の有様を
書き残したる記録あり
今其記録の節々を抄録すれハ
慶長九年ハ如何成年の逆旅そや 先づ一番に 七月十三
日 不時頓に大風吹来り 洪水涌き 山之竹木を吹倒し
諸之作物根菜を枯らし 家微塵に吹なし 山ハ河となし
淵河ハ山と埋れ 人之首も吹き切るほどの
大風なれは 深山幽谷の土民等木におされて死するもあ
り 或は半死半生の消息凡国土の人民何斗万無斗
二番に 八月四日 大風雨洪水浜の砂を吹上
閏八月廿八日に又大風洪水す
四番に 十二月十六日之夜地震す 其夥しきこと 夜半
に四海波の大潮入りて国々浦々破損滅亡す
須崎老幼男女二十人波に流死す 其内代官之下代 摂津
国小田の庄郷山田助右衛門 蓋如何なる過古の酬ひそや
夫婦息子流死す
安芸郡 東寺 西寺 浦分にて
男女四百余人死
同 野根浦
仏神三宝の加護にやあらん潮不入大成不思議也
同 甲浦 男女三百五十余人死
同 阿波海部郡宍喰 男女三千八百六十余人死
猶潮入る限
左喜浜 談議所の阿弥陀堂の詰木の上迄
同 中里 鍛冶次郎右衛門が坪迄
崎浜村は船待の名本の出川原迄
蓋 伝へ聞く 南向の国ハ皆潮入西北向之国ハ地震斗り
にて潮不入 是未来永代の言伝に書置者也
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 81
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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