Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J0600011
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/04
和暦 文禄五年閏七月十二日
綱文 慶長元年閏七月十二日(一五九六・九・四)〔豊後〕薩摩・ 京都⇨豊後府内は津波襲来、瓜生島は沈没する。
書名 〔国東町史〕○大分県
本文
[未校訂]一 杉原から細川へ
 杉原長房が木付にいたのは、わずか三年にすぎなかった
が、赴任早々大地震に見舞われ、奈多八幡の社殿は流失
し、海岸一帯は惨状を呈した。別府湾の瓜生島が陥没した
のもこのときで、死者八百人といわれている。(中略)
細川忠興が木付藩主として行った最大の事業は、さきに
地震大津波で流失した奈多八幡宮の再興と、百五十年間中
絶していた宇佐行幸会の復活である。元和二(一六一六)
年十一月八日みごとな行幸会が行われた。たゞ惜しいこと
には、これ一度きりで後が続かなかったほどの大行事だ。
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 3
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大分
市区町村 国見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒