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項目 内容
ID J0600010
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/04
和暦 文禄五年閏七月十二日
綱文 慶長元年閏七月十二日(一五九六・九・四)〔豊後〕薩摩・ 京都⇨豊後府内は津波襲来、瓜生島は沈没する。
書名 〔佐賀関町史〕○大分県
本文
[未校訂] 慶長津波 一五九六年(慶長元)閏七月十二日、瓜生島
陥没の大地震があった。瓜生島は萩原の沖から高崎の鼻に
かけて横たわり周囲およそ三里ばかりあったと伝えられて
いる。その陥没のようすについて『府内旧記』に、
「慶長元年丙申閏七月十二日七ツ時、諸国大地震あり。
府内は海洋より大波を揚げ、神社・仏閣・大小民屋多く
流失す。同慈寺薬師堂一宇を残すのみ。勢家村二十余町
を距てて、瓜生島あり、或は沖ノ浜と云ふ。東西三筋に
町を成し、農工商漁人居住す。此島悉く海底に沈没す。
溺死を免れたるもの七分の一、流失家屋浮木標器に取付
きて死を免れしものもあり、瓜生島及府内の死者七百八
人なり。」
とある。またこの時佐賀関地方も大きな被害が出たことが
左の記録から察せられる。『佐賀関史』に
「慶長元丙閏年七月十二日地震海嘯大に至り、関神社の
鳥居倒れ、海水社殿を浸し、崖岸は壊崩し、家屋は倒潰
し、関より大在に至るの間、畑田の流没六十余町歩に及
ぶ。」
さらに『稲葉家譜』にも、
「古老伝言。慶長元年丙申閏七月十二日大地震、海水溢
陸地、没豊府沖浜之民戸十余町人多溺死。又曰此時潮水
来臼杵原山麓、今川崎藤八重昌宅前之坂口、及高田郷家
島人家之棟木、佐賀郷佐賀関神社之鳥居流去。云々。」
出典 新収日本地震史料 第2巻
ページ 2
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大分
市区町村 佐賀関【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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