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項目 内容
ID J0502396
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕⇒津浪も襲来・翌年十二月まで余震続く。
書名 〔八坂神社文書乾〕○京都
本文
[未校訂]鳥居奉加帳
越之前州丹生郡虵谷山田中天王鳥居再興勧化之状
(前略)
しかる所に天正十二年十一月下旬の大地震に、神社拝殿鳥
居破却せり、翌年高橋良珍入道御宝殿を修理し奉つる、拝
殿ハ天正十六年に太田氏小源五一吉造立し奉る、其後神社
又頻破せしむるによって、慶長十九年に大見氏彦三郎元貞
修理をくはへ、寛永十四年に当社神主高橋左京太輔八幡宮
白山権現の社を造立し奉る、然りといへとも鳥居ハいまに
建立し奉る人もなくわつかに石すへ計残ぬ、かほとの大社
に鳥居のたいてんしたる事を某なけかしくおもひ奉り再興
のわさを年来氏子の輩に憑之はけむといへとも鳥居広太に
して其志をよひかたし、爰に橋本氏政実氏子たるにより、
常に神徳に帰依渇仰し奉らる、其信心深きにもとつき某な
らひに氏子中一同に政実の芳助を頼之造立奉かの意趣をは
かるに政実のいはく、当社ハ歴代之帝王并高家のともから
造営をなさしめ給ふに、今凡俗の奉加をすゝめて建立し奉
らん事憚多し、其上後代に高家より御造立あらん妨にも成
ぬへし、且ハ世人の嘲りも神社に恐れあらんと再三辞退せ
らるゝといへともすたれたるをおこす敬信の志なんそ尊卑
のへたてあらん、却而後代高家の再興を招く便りにも成ぬ
へく思ひ、某ならひに氏子中しきりに政実を頼ミ、奉加を
発起し、近里近国の貴賤をすゝめて、鳥居造立したてまつ
らん事ハ、天下国家の太平当今公方の御長久、殊には国主
安全万民快楽の御祈禱のため成へし、一紙半銭も捨へから
す、信心に奉加せしむるともからは七難即滅七福即生の冥
理にかなひ、諸願満足せしめん事何の類かあらん、仍勧化
之状如件
寛文四甲辰年 神主左京太輔
夘月日
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 152
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 京都【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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