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項目 内容
ID J0502042
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕遠江・三河・駿河・甲斐・相模・伊豆・京都・奈良・会津⇒十一月二十九日
書名 〔高山村誌〕○群馬県吾妻郡
本文
[未校訂]明応の大地震は遠江を中心としたもので浜名湖はこの大地
震によって外海と通じたのであるが、明応七年(一四九八
年)の大地震は遠い本村でも被害少なからずで記録に残っ
ているのを採録すると、岩石に包まれた医王山法楽寺の堂
塔が崩れ落ちた大岩石のため建物は岩石の下になり、一山
の僧俗悉く圧死と言う惨状であったし、泉照寺も亦敷地の
崩壊によって大破したという。まして一般村民の被害は想
像を絶したことと思われる。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 109
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 群馬
市区町村 高山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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