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項目 内容
ID J0400738
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1856/09/25
和暦 安政三年八月二十七日
綱文 安政三年八月二十六日(西曆一八五六、九、二五)北海道駒ケ岳、噴火。夥シキ燒石・灰砂ヲ噴出シ、堆積スルコト三丈ニ及ビシ處アリト云フ。家屋燒失シ、人畜死スルモノ多シ。
書名 ☆〔北海道史〕
本文
[未校訂]安政三年八月二十四日より駒岳附近に於て時々鳴動を聞きし
が、二十六日巳下刻午前十一時夥しき鳴響と共に噴火し、折しも
北西風強烈にして、鹿部村・本別村邊は燒熱せる砂石夥しく
降下し、燒死する者二人、家屋の燒失十七棟、大破十五棟、
其外物置、漁船等の損害あり。村民鍋釜等を冠りて避難し、
多くは本別橋折戸川に架すの下に潜みたり。又南麓の留湯は砂石の
ため三丈餘の下に埋沒し浴客等十九人或は十五人と云ふ死亡せり。砂
原・[掛澗|カカリマ]・尾白内・森等の人民並に南部藩の戌兵は、鷲木村
に避難せり。此日灰烟上層の風に乘じて東方に靡き、鵡川・
沙流邊は烟中電光四射し雷鳴轟々、降灰三四寸に及び、大津
は暮刻電光一閃、硫臭鼻を衝き、灰降ること六七分、協和私役に據
る其他降灰は落石今の根室國花咲郡の内五六分、觀國錄に據る斜里凡そ二寸、
常呂凡そ一寸簡約松浦武四郞傳なりしと云ふ。其後噴火の勢次第に衰
へしも、九月朔日北東風にて上湯川・龜尾邊に灰降り、尚ほ
同月中は嶽の附近震動し、箱館に於ても時々地震を感じた
り。此變災に當り無難なる隣村の有志は、飯の焚出をなして
避難者を救濟し、官に於ては救助米を施し小屋掛料を貸付
せり。
出典 日本地震史料
ページ 683
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 北海道
市区町村 札幌【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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