[未校訂]軈て參府發程期の十月となりければ、公は五日より佐嘉城を
發せられしに、好事に魔多く、是月江戸には種々の異變竝び
起り、二日大地震ありて、我櫻田邸亦震倒せられて火を發し
たりしかば、夫人は田安邸に避難せられしが、溜池邸亦大破
壞を生じ、兩邸在住者はさしたる人數にもあらざりしに拘ら
ず、森川利左衞門父子、實松育一郞等を首とし、侍手明鑓よ
り手男從僕まで總て死亡したる者三十四人に及び、負傷者亦
數多なりき。唯深川亮藏のみは、跳つて前屋の倒れたるに登
りたりしを以て、刹那の後屋倒壞にも危き命を拾ひたり。當
時千住に橫尾龍助なるもの住居せり。武雄の人にて、以前淨
土宗の僧となりて增上寺にありしころ、師僧の死後にその遺
金を竊取して品川の女郞と眤み、遂に落籍して夫婦となる
や、千住の遊廓に賣娼を營みて富を致したるものなるが、無
論藩法にては死刑に處せらるべきものとて藩邸への出入を禁
ぜられたりしを以て、いつか機を得て藩邸出入を許さるべき
忠勤を抽んでんと渴望しゐたりし彼は、此震災に藩邸の罹災
せるを目覩し、江戸の假圍ひをなす木材に乏しかるべきを見
越して、まだ藩邸の火の熄えざる中に外圍の板、及び木材を
献じたれば、山下邸の燒跡は他に先立ちて板塀を匣らし、假
小屋を造るを得たりき。龍助は此功によりて邸内に出入する
を默許せられたり。此の如く未曾有の大地震は藩邸をも罹災
せしめたるを以て、此報道の爲め德永傳之助を始め其他相繼
いで急行し、長州路旅行中の公の驛館に到著して之を具狀し
たりしが、更に播州路旅行の頃、堀田備中守が老中の首席と
なりたる報を傳へたり。江戸溜池邸にありては數百の工匠を
集めて大急ぎに修理を加へ、一箇月を經ては公の住居に堪ふ
るだけの竣工を見たりき。十一月七日品川驛に著せられし公
は、直に月番老中に到り、將軍の機嫌を伺ひ、溜池邸に入ら
れたりしが、隨行員起臥の假小屋は、僅に風雨を凌ぎ得るに
止まりしを以て、此處に在る間は暫時陣營と見做すべしと逹
せらる。實に江戸震災後の慘狀は言語に絶えたる光景にてあ
りき。