[未校訂]〇十月二日夜四時、江戸大地震、御曲輪内小川町牛込下谷新
吉原本所深川邊動搖殊に強く、家藏多く倒れ、失火も凡三十
口ばかりあり。其中家に敷れ、火に燒れて變死する者すべて
壹萬餘人なりと聞ゆ。町方變死人は御調有て、奉行所へ書上
しは男女總計三千八百九十五人なり。猶委しき事實は予が著
はせし破窓の記に讓りてこゝに記さず。今月二日大地震の夜
より同晦日までの間、凡地のゆり動きし事晝夜八十度也。漸々
十一月下旬に至て全く止む同夜地震の難に遇ひて死したる俳諧者流ハ、深
川西平野町素雲堂曾云、本所三ツ目逸見甲斐守家來、兩日庵
子來、同所綠町天鼠庵桂雨、神田橋御門外本多侯家來岡氏雉
嶺居風齋、小石川御門内土井家來花醉軒青嶂等なり。
○同〇十一月九日、深川元町名主佐藤氏忠右衞門伜虎次郞去月地震
の節、家潰れ、近邊より出火に及び、同人妻は大梁に打潰れ
即死の中、辛うじて父を扶け出し立退、厚介抱致し候事、實
に平常の孝心火急の間に顯れ候趣仰渡され、御褒美として銀
三枚下さる。
北町御奉行井戸對馬守殿御懸。
〇十二月廿三日、下谷數寄屋町利兵衞店熊野牛王所覺泉院婢
女かね十八歳去月二日地震の夜、家潰れ、近所より失火におよ
び、自分も鴨居に打敷れ堪がたきを漸く拔出、覺泉院始め同
院養母知蓮事こと幷忰又次郞娘かまも、往來人又は有志の力
をたのみ倶に相働き、恙なく相扶る終始、誠忠無二の所行、
女の身にては別て奇特なるに依て御褒美として銀十五枚を下
さる。
南町御奉行池田播磨守殿御懸。
○同廿七日淺草山の宿町所持地面に假宅罷在、新吉原江戸町
貳丁目家持さの槌屋せい後見源右衞門抱遊女かね事黛、是も
地震後所々の御救小屋へ入候者共へみづから所持の櫛笄簪等
賣拂、金廿兩餘、瀨戸物行平鍋數千百六拾買受、御救小屋
の者へ遣し、右買集配り渡し等諸雜費共都合金三拾兩餘施候
趣、奇特に依て御褒美として銀二枚を下さる。
南町御奉行池田播磨守殿御懸。