[未校訂]こゝに去年十月二日大震の前なりしが、淺草御藏前は福田屋
といふ水茶屋のありけるが、駕に乘りて來る人あり、轎夫庭
を徘徊なし、少し凹みたる所あるを何心なく杖にて突に忽地
清水滾々と湧出て流れければ、主人これを見て大に駭き、立
よりてその傍を穿に、いよ〳〵清泉湧出れば、人々これを奇
なりとして競ひ見るもの市の如し、主人は桶の底を拔き是を
覆ひて井の如くし、汲とりて茶を煎ずるに、その味また美な
り、これを見聞く人每にたゞ不測の事なりといひて地脈の狂
ひしに心は著ず、然るにそれより四五日を過てかの大震あり
しなり、○中略こゝを以てこれを思ふに地脈くるひて水道の差
ひぬること疑なし、されば福田屋の庭中に暴に清泉の湧出し
も當に地震の前兆なるべし、余近頃その水を見しに青く濁り
て苔を生じ、なか〳〵に飮に堪ず、是よりまた數月を經ばい
かになるらん知るべからず。