西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ID | J0301612 |
| 西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1847/05/08 |
| 和暦 | 弘化四年三月二十四日 |
| 綱文 | 弘化四年三月二十四日(西暦一八四七、五、八、) |
| 書名 | 〔事々録〕 |
| 本文 |
[未校訂]大地震再度御届私在所信州松代、先達而御届申上候通、大地震ニ而更科郡山平林之内、岩倉山拔崩、犀川押埋ニケ所堰留、追々数十丈水湛溜候処、一両日前より水漏候得共、下ノ方堰留候場所は、水乘候而未二丈余も可有之候処、俄に押破候と相見、昨十三日夕七ツ時過、右之山ノ方、大ニ鳴動致、引続瀬筋之高高ク相聞候処、一時ニ逆水、右川筋え押出、忽千左右え堤ヲ押切、又々水乗越防方行届兼候旨、川方役人共より追々注進致候処、間もなく川中島数多之村一円水押、筑摩川え流込迸流仕、顕ニ居城際迄水多ク押上、暮時ヨリ夜九時頃迄、筑摩川平水より二丈計相増、川中島村々は勿論、高井郡水打郡之内川添村々水中ニ相成、瀬筋相立候様相見処、数ケ所有之、作物泥ヲ冠り{〓}は勿論、押掘候ケ所夥敷司有之候得共{〓}見限、夜半過ニ及候が、水丈も相止候様子ニ、暁ニ至次第ニ引水ニ相成申候、兼々村方之者共、水防手当申付置候得共、俄ニ押出、未曽有迅速之大水、存外之儀ニ而、流家は勿論溺死夥多可有之候、其上多分之損毛も出来可申心痛罷在候、委細追而取調可申上候得共、先此段御届申上候以上四月十四日真田信濃守○二丸火の番小林茂太郎来テ一詰す、是は我住し小石川白山に近き御殿坂下に在り、此坂下の飴賣店の老婆は伝通院前しつくひやの母を誘引、同志の老人の八人連に而、壱人男の老人をかたらひ九人にして、信州善光寺関帳参詣をこゝろざし旅出せしに、大地震の変事に驚き、飴屋の老婆の子、心もとなくて迎として出けるに、信州近く成て、焼たゞれて面部を打おゝひなやみつかれて来る者に行合ふに、是則八人の老婦がともなひ行し老夫なれば、再び驚き且便りを聞に、かの男いへらく、ともなひし身の面なくはあれど、とても八人とも安穩たらん事思ひもよらず、其夜八人と一間を隔ていねたるに、かの大地震とゝもに家内火になりて、只あはやと声かくるのみ、はい出たる上へ鴨居やらん、脊へ落て打たをれ、起上るべくもあらぬに、出ん/\とあげく時、再びゆりて幸に脊の木の落たるに、身に火のおふるもいとはではい出、かろふじて赤はだかに或り、ゆられ、/\ころび/\からくも命助りし計にて是見給へ、双手杖して蝦てふ虫の這ふ如く江戸に至らんとす、彼地に行給ひても、家ども皆やけうせて人々のかばねも灰とのみなりつらん、其家はいづかたにて縄ばりの跡をめあてに而尋給へ、さりながら尋給ふのみにて、只こヽちをのみわけがたからんといふより、かれをたすけともなひて彼の所におもむきしに、いゝしにまさりて家の跡、あれこれといふのみ、一くわいの灰塚也、なく/\こゝよとやどりをきゝて灰をとりつゝ持帰り、ともらひけるとて、茂太郎は彼が店へ行、かのやけたゝれたる男にもあひ、老婆が子にもきゝしとか、此頃信州地震のはなしさま/\ありて、こと/\くきゝしまゝをかいつけんには数紙を費すべし、此一事にもおしはかるべき也、○三月廿四日夜、信州大地震、所々破損、善光寺焼亡、至廿八日江府之初度之注進、右書上私在所信州松代、一昨廿四日亥刻頃より大地震ニ而、城内住居向櫓{〓}圍{〓}{〓}夥敷破損、家中屋舗城下町領分村々其外支配所、潰家夥多、死失人夥敷、殊ニ村方ニは出火も有之、其上山中筋拔崩、犀川押埋、水湛追々充満致、勿論流水一切無く、北國往還丹波島宿渡船場一丁上リニ相成、此上右溢水押出方より如何様之変化も{〓}計奉存候、且今以折々相震申候、委細之儀は追而可申上候得共、先此段御届申上候以上、三月廿六日真田信濃守春日町朽木兵庫助讀書會亭ニ而、旅行、信州路に至りし者の書取多文、席上全書ヲ写がたく大略の要、信州青柳宿泊ニ而夜亥刻頃、大地震東より多ク震初、暁迄震詰メ、旅篭屋家内不残大震イ済迄一同門え出、野宿、一夜眠ル者無之、夜明申候、{〓}一人口きゝ候而も聞分がたく候、苧防何{〓}の取除無之候得ば同様震申候、稲荷山宿内不残焼失、死亡人数不知、丸屋ト申旅籠屋ニ而大人死、間の宿追分家不残潰レ、死亡人無之、丹波島潰家無之、焼失無之、丹波川埋り水ひた/\、歩行渡足の首計り水つきたり、善光寺本堂山内宿坊大動寺破損而已、籠り人七百人は助命、其外の宿坊旅籠屋潰焼失、旅籠屋ニ而死亡凡千五百人程、屋代川一丁上り渡船留、桑原村潰家数多、八幡村ニ而三百七八十軒潰、死亡十五人程、猿ケ峠ニ而、尾州智多郡の人廿五人連レ、廿二人死亡、漸々三人助命、上戸倉村岩先山岩震落山崩レ、大岩山下ニ落、善光寺稲荷山丹波島辺地割レ口壱尺五六寸、深サ三尺余程、泥吹出ス、松代城下潰家、城内櫓三ケ所程潰崩、善光寺町旅籠屋藤屋平五郎宅、旅人共六百人怪我、五百人即死、○中村村陣屋崩ル、凡翌朝迄震事八十度、御代官川上金五郎御届、私御代官所当分御預越後国頚城郡村々、去月廿四日夜四ツ頃より大地震発震返{〓}有之、川浦村陣屋本陣長屋向柱くぢけくたけ落、損所{〓}夥敷、同村{〓}最寄村に数多潰家出来、即死人怪我人{〓}有之、遠方村々は未届不申候得共、同様之趣相聞候同、委細之儀は猶追而可申上候得共此段御届申上候以上四月朔日小笠原信助
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| 出典 | 増訂大日本地震史料 第3巻 |
| ページ | 905 |
| 備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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