[未校訂]古へより毛の降るといふこと和漢の書に見ゆれども、
心許なきことに思ひ居しに、天保七年丙申六月十九日
の朝、四ツ時に市谷蓮池を通りたるに、商人のいふ
には、毛のふりたると云亊なるが、此所に落てあり
しとて拾ひ挙たり、忽人々寄合て見居たるまゝ、供
の者に見せしに、二寸斗なる白き毛なりと云、其日
夫より追々毛ふりしと人々〓しく云ほどに、火の見
の屋根にても拾ひ、又同所蜘の巣にも懸り居たりと
て、専評判仕出し、夕方合羽坂辺を通りたるに、同
所曲り角の所にて六七毛拾ひたり、又市谷御館内或
人の咄しに、松山と云所より法性寺谷へ下る所少し
の広場の辺に、ばら/\と沢山に落居て、中には五
六寸斗の長き毛も有しを拾ひ取て。宅に帰りて稚き
子ども達に咄すと、是も晝後近隣にて三四毛拾ひて
悦び居たる所故、かの広場にあまたありときくと、
忽ち走行て七八寸位より尺斗の長き毛を四五筋拾ひ
来りしと、夫より段々聞合するに、風の吹廻しによ
りて多少は有ども、広き江戸中残る所もなく降たり、
或人の云には、十八日の七ツ過に童どもの毛がふる
と云ゆゑ、何亊にやと思ひ居たりしに、誠なりし、
左すれば、十八日の夜のみにもかぎらず、夕刻前より
ふりたる亊かと云へり、人毎に尋探りて二三毛或は
十毛廿毛づゝ拾はざるはなきに、二三日が間は気を
付て見れば、沢山に落て居る所もあり、此亊を考る
に、追々に降たる様にも思はれたり、其毛色は白毛
多く茶毛もあり、又真黒もあり、黒白斑らなるも白
茶里の交りたるも有て、長さは二寸位なるが多く、
三寸位なるも随分あり、中には五六寸も有て、七八
寸より尺二尺二尺七八寸又三尺ばかりなるも有たり、
何の毛とも更に辨へ難し、○中略甲州よりの書狀には
五月の末に白毛降候、四寸五寸より三尺に及びたる
もあり、何とも名付け難き毛といへり、夫より諸国
の亊を尋るに、五畿内より東国は悉くふりたり、大
阪なども降たる亊は慥に聞たれど、讃州へは降ぬと
聞く、其余如何、國々残らずは得聞訂たずして打週
ぬ、残り多し、江戸は六月十八日より廿日頃に降、
奥州岩城平は六月の廿八九日にふり、名古屋は七月
の八日七ツ時より翌朝迄に降たれども、二三日の間
はふりしが、其間は追々毛も拾ひたりと聞ゆ、皆毛
は同じ亊ながら、甲州は白多く、名古屋は茶と黒多
く、白は少しとの亊也、吳々も辨へがたき亊なり、