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項目 |
内容 |
ID |
J0301123 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1833/12/07
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和暦 |
天保四年十月二十六日 |
綱文 |
天保四年十月二十六日(西暦一八三三、一二、七、)出羽国庄内及ビ佐渡国地大ニ震フ、庄内ノ鶴岡・大山・模曽根・南吉田・奥井新田・廣野新田等へ半潰トナリ、狩川ハ確損甚ダシク、大町ニテハ四十戸全潰セリ、加茂方面ニハ地震後津浪打寄セ、加茂・今泉・金沢・宮沢・油戸・湯ノ浜ノ六ヶ村ニ潰家、破損家七十戸、溺死十五人、流失家八戸、流失船九十二艘アリ、三瀨以南越後境ニ至ルマデノ沿岸ハ震害一層甚シク、小波渡・堅荒沢・五十川・湯温海・大岩川・鼠ヶ関及ビ由良ノ七ヶ村ニテ、潰家・破損家二百三十戸、溺死二十三人、流失家百五十戸、流失船二百十三艘ニ及ベリ、佐渡ニテハ関・五十浦・岩谷口ニ於テ潰家十二戸、真更川・鵜島・願ニ破損家二百三十五戸、鷲崎・住吉・羽黒ニ納屋ノ倒潰九十二棟・加茂・夷町・湊町ニ破損家百十九軒アリ、マタ津浪ノタメ高千・田野浦・石名ニ於テ七十九戸流失セリ、北海道函館・福山モマタ津浪アリ、 |
書名 |
*〔洪水凶年慈悲心鳥〕○羽前鶴岡
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本文 |
[未校訂]十月廿六日大地震、在々所々にゆりたほされ、海辺 大津波して津々浦々もいたみける、此時我国のみに 限らず、下は本莊、秋田にひゞき、北国能登の國迄 も津波せしと後に聞き伝へり、予津波の来るは見ず といへども、海村の噺を聞くに、地震に続き波遙か に引いて潮湧きかへるが如く、沖の方より大山の崩 るゝにひとしく、渚の山の半腹に突き当り、人家止 へ越し、川筋逆さに水を流し、中砂も大海の沖とな り、潮の水の当つて碎くる恐ろしさ譬ふに物なしと ぞ、汐越濵の亊かとよ、磯部を通る旅人あり、津波 せしとは知らず、風雨をしのび顔傾けて行けるが、 道中に浮上げられ、渚の上におし上げられ、大に驚 き、幸ひ木のあるに手を掛けしかば、渡は遙かに引 とつて実にや虎口を遁れ危く助かりしと委しく聞き けり、
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出典 |
増訂大日本地震史料 第3巻 |
ページ |
409 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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