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項目 内容
ID J0300965
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年七月二日(西暦一八三〇、八、一九、)京都及ビ隣國地大ニ震フ、
書名 〔京都地震実録〕○浮世の有様所収
本文
[未校訂]一当月二日未刻{〓}発、既に洛外伏見街道町續近在、人家土藏崩れ、怪我人数不知、市中一統、往來又は地面広き所へ、板畳等敷き、油火多く持雉く、行燈提燈等にて明かしを取り、日覆、雨具掛け凌ぎ、飯事休候事大ケ敷候。東西本願寺、其外寺社大損じ、御所堺町御門ゆりくづれ、五條橋詰半了餘り大崩れ、誠に大騷動、荒増書記申候。右之通京都より申來り候、以上。七月四日同一、昨二日七つ時{〓}大地震にて、夜九つ過迄相止み不申、尤諸商賣勤まり{〓}く、家々畳杯大道へ出し、大に騷候趣、只今京都より申來候。右に付飛脚方下り、諸用向今日は無之、此段御断申上候。京飛脚小和田屋利衛門一、伏見街道は、京橋乘場辺家損候趣。夫より海道板橋辺{〓}上、所々之家倒れ有之、黒門上町五六軒損有之、小児一人知れ不申由、一の橋より上、大佛正面迄、人家多倒れ、此内十七八歳の娘一人即死。五條橋東詰北がは焼餅や倒れ、怪我人有之。是より寺町三條{〓}上、猶急に有之由、寺々の塀門損じ多く、三條蹴上げ十七八軒倒れ、此内老人即死、八坂塔倒れ、猶又両御堂様少々損じ、竝に佛光寺様同断。烏丸松原西北角両三軒倒れ、丹州亀山様御火の見大に損じ、醒井わつたや町淨土寺倒れ、七條御花畑半丁計りしをれ、今夕に至り未だ少々宛地震の気あり、老若男女にか、はらず、大道に日覆致し、野宿同様、尤牛馬往來無之、死人之儀も多く有之趣に候へ共、末だ委しく相分り不申候、猶委敷事は追々相知れ申候。先荒増右之通書付、御覧に入甲候。七月四日小和田屋利衛門一、京都昨四日に至てもゆり止み不申由、尤夜四つ時起同断。伏見表、又々昨四日両度大にゆり、大地ひヾきわれ申候由、申來候。七月五日同一、当地之地震毎度預御尋忝奉存候。当二日申刻{〓}酉刻迄に、大地震四度來り、諸方の土藏一軒も不残及頽破、家建も大損じ、中々家内に居候事去来不申、皆々大道に日覆致し、二日夜より大道へ出、休息致候処、三日、四日も両日に大地震凡十四度も参り、大騒動前代末聞之事に御座候。今日抔も太分震ひ、七つ時分治り候模様也。併附合中には、怪我人等も無御座候間、此段御安心可被成候。承り候処、一條堀川には喬麥屋堀川に崩入り、客人六人即死、清水舞台前参詣人過分死失、其外所々にて死去之輩御座候由也。委敷儀は追々可申上候。七月五日林鷹治郎御翰忝奉拜見候、如貴命未残暑強候処、倍、御壯健可被成御座之由、奉雀躍候。然者近火の儀に及御聞、尚文二日{〓}大地震の変動、當地別て強く有之、御見舞として御深切御尋、忝仕合に奉存候、追々御聞の通、大変警入申候。乍併三十九年以前島原崩の節、下拙廿二才罷成候故、能存居申候。其節の模様に能似たる事にて、数日に及び可申考、次第軽く相成儀と奉存候処、是迄は考通り、今六日迄も少々宛、かすかに三五度有之候。只今模様に候はヾ、安心に至候哉と、皆々申居、町家さま/\風評仕候て不穩候。御察可被下候、兼々御無音仕候て、時々御尋不申上、失札御用捨可被下候。何角萬端過書町方御世話罷成、何分宜敷奉願上候、右御答御礼旁{〓}早々以上。七月六日四條東洞院旅宿賀茂丹後四日出の御文、大日に相とヾき、有がたく拜し{〓}。仰の如く當年は残暑つよくおはしまし候得共、いよ/\御両所様にも御きげんよく御便り承り、山々悦び入{〓}。次に此方皆々無事に相くらし居申候。憚ながら御きもじやすく思召可被下候。扨又二日の地震の儀は、御地にても珍らしきやう仰下され、当地はけしからぬ大変にて、私方借家も甚だそんじ、心配仕候。町内にても家三げんたふれ、五條にても二けんたふれ、其外家たふれ申候事おびたヾしき御事にて、即死人先々四五十人許りは御座候よし、今に/\毎日少々づつゆり、心ならぬ御事に御座候。尤家・藏のつぶれ申候事は、筆紙につくしがたく、尚々跡{〓}、又々くはしく申{〓}千切屋への御文さつそくに相とヾけ申上{〓}。申上度御事はたくさんに御座候得共、何か取込、まづは御礼御返事かた/\申上度、筆末ながら、恭衞様へも御申上下され候やう願上{〓}。先はあら/\めで度{〓}{〓}。七月八日伏見街道五條上森下町津國屋さい御文下され、有がたく存上{〓}。如仰暑さつよくおはしまし候得共、どなた様にも御きげんよく入らせられ、御めでたくぞんじ上{〓}。此方みな/\ぶじに暮し居申候間、慮もじながら、御心易思召下さるべく候。さやうに候得ば、二日七つ時の大地しんにて、家々所々そんじ、又々けが人もたんと/\御座候得共、此かたの辺は、けがもなく、悦入{〓}・御しんもじに御尋ね下され、かたじけなく悦入{〓}。あなた様にも、定めじ御おどろき可被成と存上{〓}。しかし御けがもなく悦入{〓}。御無沙汰のたん、幾重にも御免るし下され候やう願上{〓}。先は御禮御返事まで申上{〓}。めで度{〓}{〓}。六月十日左門前千切屋まち{〓}京都出火一、九日夜四つ時、寺町頭鞍馬口下小家{〓}出火、四つ半時火鎭り申候。同暁七つ半時頃、新町一條下る有栖川宮様御役人長家ながや{〓}出火、半時計り燒け、火鎭まり申候。昨十日迄、京都地震相止不申候。尤九つ時抔は餘程きびしく、其外ゆり候事は度々の趣申参候。七月十一日小和田屋利衛門尚々彦根一向々々中地しんにて、何のあたりなきよし申参候。御同前に歓入まゐらせ候。大津も京都よりは、かろく候よし申候。両度の御文のやう忝さ、御申のごとく残暑つよく候処、其御程、御揃ひ何の御障りなく、めで度ぞんじ上候。土用中御見舞申入候御返事、ことに其御元{〓}も、うるか沢山に送り下され、忝く、長々と賞翫たのしみ可申やう忝存候。扨は去る二日の大地震、其御地はかろく御座候よし、安心いたし候。当地のやうす。追々御きゝ御案被下候よしヽやま/\忝存候。誠に前代未聞の御事、はなしにもきゝ申さぬおそろしさ、中々筆におよびがたし。まづ御所方・堂上方・二條の城、すべて御築地廻り、土藏は大かたそんじ、不申はなくて、けが人・死人おびたヾしく、おひ/\いろ/\あはれなる咄ども承り候。此方家内中一人もけがなく、お竹方・お久方・其外えんるゐ中、無事に候まゝ、御安堵可給候。此方家もゆがみ、かはらおびたヾ敷ちり、天井など落懸かり、土藏はかべ両方へひヾき落懸かり候ゆゑ、土落させ、まづ怪我の出来ぬ用心いたさせ候。職人手傳等やとひ申事一向出来がたく、是にはこまり入申候。藏の内の諸道具、みな/\座敷へはこび出置き、あつさのせつさん/\困り入りたるものに御座候。其上大地震のち晝夜幾度となく、日々どろ/\ゆさ/\、二三日は何十遍と申ほどゆり申候。中々家の内に居候事あぶなく、屋敷内にあき地の有所は疊敷き、雲天井の所へ出居、夜を明し申候。町家など、町内の中などへ疊敷き、むかひ側{〓}細引はり、すだれ・のれん、夜分は蚊帳つり、家々のまへに野宿いたし候。町々の高張挑燈、家々のちやうちん夥しくとぼし、長さ一丁、二丁も続き、夫は美事にて、船のやうにみえ候よし、町内のせまき所は、近所の広き所、又は河原へ出かけ、家内ふ〆しまりの所、又盜賊又は火つけのひやうばんにて、一向々々やかましく、拍子木おと、火の用心ふれ、武家よりも夜晝まはりしげく仰付られ、巖しき事にて、二條御城も石垣四五十間崩れ落ち、高塀倒れ、城内あらはに外廻り{〓}見え申候由、大広間と申す十疊敷も、潰れ候との沙汰にて、其外寺々・土塀・廻り石燈籠石碑の倒れぬはなく、北野神前のとうろうなど残らずたをれ候よし、大佛の石かけ三つ計大道へゆり出し、耳塚も上の台一つ飛散り候よし、上の屋根石計、耳方四百貴目有と云ふ。一條戻り橋半分落ち、其近辺麺類屋座敷堀川の深みへ落ち込み、またあたご山大荒にて、寺院二三軒も谷底へ落ち、丹州亀山の天守落候よし、色々ひやうばんに御座候。今九日、去る二日{〓}は八日めに相成候得共、いまだやみ不申候。今朝など、飛で出候やうな地震一つ御座候。当地には、か様な事無之所と存居候処、散々恐うしき事にて、此前は人々腹中あしく、食事すヽみかね候やら、夜分とくとやすみ申さず、人気もうろ/\といたし居申候。まづは御返事ながら、あら/\地しん御はなし申入候。どなた様よりも御そへ筆の様忝、まづ/\御案じ下されまじく候・めで度{〓}{〓}。文月九日したヽめ鷹司殿諸太夫宅は寺町御門之内也。富島左近將監愚子岩二郎・お竹・おひさへも御加筆のやう忝、申聞せ可申候。此方浪江へわけて御そへ筆のやう忝、まづ/\両人共無事に、此間の地震も、折節小兒湯をつかひかけ申候処にて、大に/\びつくり、我等と両人にて小児かヽへ、裏の栗の木の根へ立退き、玄関前広く御座候ゆへ、二夜計りは玄関前にて暮し申候。恐ろし/\地獄遠きにあらず。餘り長壽も入らぬもの、家も藏もとんと当てにならぬ世の中に御座候。此節町々諸商賣共止、にげ仕度のみに御座候。尚々時期残暑御いとひ専一に奉存候。如何成宿世の因縁乎、年寄去年より度々の大難、此度は別而気落いたされ候てをられ候。皆様へ宜敷敷御伝可被下候。口上五月は罷出、不相変御信心の御世話、辱奉存候。御母様へ御厚礼被爲申上可被下度、御召使の御女中へも宜敷御礼頼上候。残暑強く御座候得共、御母様始、貴公様御安全、可被成御暮、珍重の御儀に奉存候。松栄様別紙同様宜敷頼上候。貫主{〓}宜申上候様被申付候。此地七月二日未之下刻・申之上刻地震にて、東西七間半、南北七間之台所、西へ三尺程傾き、内之諸道具不残取出、戸、障子はづし置候。二間半に二間の院代部屋つぶれ、瀬戸物類、茶漬茶碗菓子椀、膳、椀の類破損仕り、庵者住居と雪穩二ケ所潰れ、諸道具、小棟迄不残破損、井桁外へくへ、井中もくへ候哉、水大に{〓}り、二日之夜は朝迄一寸も寐ず、高張表ヽ四本、裏へ二本立で、三、四、五日、今六日迄、小地震打続き、漸今日は納候様に被存候。無怪我、御休意可被下候。此後諸堂の修復再建、御見知之通無檀家、御朱印は居所計り、末寺は音妙庵元政寺等之無檀地、掛る島もなき難渋に御座候。一、此度は長崎へ唐船が四艘程も著船之由、毛せんなど若下直に候はヾ、二枚御奇附頼上度、色は何にてもよし、無地にてもよし、花色なぞもやう御座候てもよろしく、胡椒も少々頼上候。御母様松栄様に御相談可被下候、頼上候。早々以上。七月六日伏見深草宝塔寺日旺代筆一、御所御殿廻り少々損じ候由、堺町御門崩れ、鷹司様、九條様、其外御公家様方、塀大損じ、御殿廻は聞不申候。二條御城石垣崩れ、東大手門崩れ、南手之中程にて石垣一尺計下り、四方之塀は皆々壁落ち御城内相見え、御所司、両御奉行所大損じ、獄屋敷獄家の壁落ち、科人見ゑ申候。北野天神島居落ち、奇妙成は、中程にて上之石留り有候。今一つ奇妙は、廻廊之内少も損不申候。其外瑪瑙之燈籠抔崩れ、西大條御殿廻大損じ、狩野家抔之結構成襖、上段之間抔之畫も皆破れ、大台所大損、雜物入之藏崩れ、本堂五寸こけ候由に申候、興正寺様塀崩れ、対面所崩れ、其外所々損じ、東大條は元{〓}焼地にて少之事、乍併枳殼御殿塀倒れ、御殿廻り大損じ之由、大仏殿誠に大き成塀之下之石こけ出で、耳塚上は落ち、台はゆがみ候。五條橋下辺大損じ、半丁計家崩れ、洛中、洛外藏は不残、偶々残る所之藏は、壁劃れて何之間にも合不申候。町家崩れ候処は数不知、けが人数不知、死人凡百人計と申事に御座候。其外〆しまり之出来ぬ家は数不知、宮・寺之崩れ候処は無之候得共、稀に御座候。大宮通雪たや町、淨土寺本堂へたり申候。何事も聞くと見るとは大に違ひ、左程には無之物に候得共、此度之損じは、人の噂よりも御覧になり候はヾ、大変に御座候。此頃にては少々收り候得共、矢張えい山、愛宕等地鳴いたし、時々ゆり申候。二日、三日、四日は大道住居、又は野宿、薮の中へ宿り候など、いろ/\に御座候。併やぶへ追入り候者は、蜂にさヽれ、蛇に喰はれなどせし者も澤山に御座候。地震最中人々のなきごゑ、何とも申しやうも無之事に御座候。上様にも、御所之内之広場へ、御出被遊候由、是は人の風聞に御座候。肥前屋孫七萃墨被下、辱拜見仕候。然者当方大変に付、早速御尋被下候段、御深切之程忝奉存候。先以御本山様御別條無御座候段、{〓}有奉存候。乍併御眞影を御守護にて、御門跡様三日三夜之間、御白砂に被爲入候段、實に前代未聞之儀奉恐入候事に御座候。尤御殿廻りは、餘程の御破損に御座候得共、先以て両御堂は御別條無御座候。扨又拙方之儀は、乍両人無別條候得共、拙は胸病之病性故、大に動じこまり入罷在候、乍併今日は少々宜き方にて御座候。尤今以てやはり一時々々には少づつ地震にて、晝夜に十二三遍は鳴動いたし申候に付、扨々不安心の物に御座候。大に病性にこたへ申候。娑婆と申所は、扨々不定のさかひにて御座候。早く常住不変の淨土へ参り度き者に御座候。か様の時は深く御慈悲を喜び罷在候。扨両人も歸るなと被仰付候段、御同慶被下忝奉存候。扨拙も三日夕船にて下り可申と奉存候処、右之大変にて、尤も当方も五六間程の土塀倒れ、其外にも所々破損に付、夫々修復等も申付け、荒方直し置き不申候ては、出坂も{〓}致奉存候に付何れ盆後早々の出坂に相成可申候。委曲御面会に御礼可申上候得共、先は御{〓}旁{〓}如此に御座候。早早巳上。七月七日西六條宏山寺寛善坊扨千本通抔には、昨日頃に至り、大軒も家一時にたふれ、人も七八人も損じ申候由、扨々油断相成不申事、尤も御地も餘程御珍敷地震之由嘸さぞ御驚と奉存候。昨夜承り候処、若州之方は十八ケ村泥海と相成候由。所々大変に御座候事。御状忝く拜見仕候。先以残暑甚敷御座候得共、彌{〓}ミ無御障珍重奉存候。誠に承候得者、御地も少々地震ゆり申侯樣承り、嘸々御驚可被成奉存候。扨又京都は、二日の七つ時、誠に古來稀なる大地震にて、大に驚入候。乍併家内皆々無別條逃申候間、其段乍憚御安心思召可被下候。扨ゆり直し皆々あんじ、二日、三日、四日の夜は、加州屋敷の芝原にて、町内皆々同宿仕り、漸く昨日五日{〓}少々腹のびく/\も納り、夜前{〓}家内へ帰り居申候。誠に百歳之老人も是迄箇樣の地震覚え不申由、扨神社、佛閣、人家、藏入之損じ、誠に/\おびたヾ敷事に御座候。御所辺は筋塀竝にくヾり皆々こけ、誠に気の毒なる物に御座候、此方も少々戸袋、戸柵、へっつひ道具少々損じ御座候。子供抔は早々向屋敷へ逃候間、とんと怪我不仕候間、乍憚御安心可被下候。右申上度、尊顔上萬々御礼御咄可申上候。地震之跡頓と染物出來不申、甚困り入申候。亀甲佐殿染小家潰れ、大怪我いたされ、大困りにて御座候。頃日は盜人やら火付やらにて頓と商売手に付不申候。七月六日河原町柿屋忠兵衞当二日七つ時より京都大地震に付、所々大損じ候事書記し難く、御所樣始め神社・佛閣・外方町裏・裏屋敷少も損不申事なし。今に折々中位なるどろ/\、小どろ/\数{〓}覚え不申、誠に恐入候。然し下拙宅格別損じ不申候得共、土藏さつぱり間に合不申、一ケ所は四つに張裂け、誠に大難渋仕候。無難なる道具類預け度候にも、大方損じ土藏計り也。漸く此節大抵なる土藏へ預け、残りは宅へ成大け入置候得共、火の用心致心配、一向職人などは仕事手に付不申樣申居候。一、酒屋樽損じ、酒流し候事。一、紺屋蓋つぼわれ候事。一、瓦屋瀬戸燒所釜類、右数不知、此節屋根瓦直し候にも、瓦屋に瓦破れ候て、とんとなし。京都にて土藏倒れ候分計三万七千計。其外瓦大輪落候は数に入不申、夫に此頃に成りて、折節たふれ候藏御座候。家小屋たふれ候事、此数不知候得共、怪我人は数不知候得共、是右之割には少々なり。当町には一人もなし。今に少なる地震時々御座候。恐れ恐れ/\、七月十一日扇谷権右衛門御状忝く拜見仕候。御表益々御安靜に被遊御揃、珍重奉存候、然者金子一歩、外に金一朱、御見舞として送被下、干瓢沢山、不相変御厚志に御思召被下候段、難有受納仕候。家内共大に悦居申候。扨当地大地震、此節ふじ会に参、定めし御聞之通、二日{〓}今日迄留り不申、八日晝前より八つ時分迄三べんゆり、夜九つ過より明迄七遍、九日晝後二遍、暮過より明迄三べん、十日晝前後夜三べん、十一日四ツ時分三遍、晝まへ後二へん、暮五つ前二へん、夜更けて四遍、七つまへ大地震一ぺん。右之仕合故、先月廿九日四條大火{〓}七日迄、何等も出來不申。七日{〓}机出し候得共、右之仕合故、手に付き不申、右之中へ九日一條新町鞍馬口出火、十日丸太町・瓦町・高倉佛光寺上る処出火。箇樣に何角取交候故、只うろ/\と計り致居申候。一、此度之荒は、北野天神御境内が第一と奉存候。石燈籠不残。石之鳥居、image此所よりはすに、両方共をれたまゝ立て有。表の鳥居笠石開き、一、祇園鳥居は別條なく、石燈籠百三十六無事なるはなし。一、大佛宮、智積院、同家中門塀皆々崩れ。一、耳塚、宝石飛び、火袋より下悉くねぢれたり。右之外、御所樣初・御城・石垣・高塀北南廿間餘崩れ・西筋鐵門たふれ・其外寺町通寺寺、西東寺町塀に無事なるはなし。粟田、清水焼物釜不残潰れ、是は餘程大金之由。五條坂茶碗の破た事大金/\。一、西本願寺藏三つ、東本願寺東殿、高塀、其外大荒、町々家藏の潰れ多く、京中藏に無事なはなし。一、熊谷平一郎殿、此間奉公に、安井前{〓}丁椎参り、其よく日、松原柳馬場南東角高塀つぶれ、下に敷かれ死す。親元に段々掛合金子三両出し、内證にて相済。右物入心遣ひ之段、気の毒に奉存候。御馴染故一寸申上候。箇樣の類は沢山な事。一、當月五日、御公儀へ死人の書上げ七百人餘と申す事。右にて御察可被成候。一、愛宕・高尾は今に山鳴り、山には人なし、参詣人なし。一、四十年まへ、八十年まへ、大地震有之候得共、此度の地震は格別にて、昔太閤桃山に御在城之砌、大地震にて、三條・五條の橋ゆり落ち右之地震此方と申事、恐ろしき事・荒増申上候にて御察し。下拙共も、箇樣の樣子にては、盆後にも納り不申候。命有之候へば、何れとか可仕存罷在候。一、此品麁末に候得共、御祝儀之印迄、御目に掛け申候。何分右之仕合にて、うろ/\仕居申し、何事も盆後可申上候。箇樣之荒れに候得共、所々大寺、宮之本殿は無別條。町家にて藏、石燈籠は皆々損じ、此節作事方一時に相成、手伝一人が五百文、大工、左官三人前・四人前出し候てもなし。宜敷物は作事方・油・らふそく酒の類。併きはにて銭払はぬ者、多く有之樣察入候。御案内之悪筆之上、此節は只手もふるひ、文面も分り可申、御察し御笑覧々々々。七月十二日三條寺町中村長秀當月六日、九日両度之尊翰、昨十日落手拜讀了。如貴諭残暑{〓}消御座候得共、貴樣愈{〓}御安康可被成寺務、珍重之至に奉存候。隨而小生漸々無異消光候條、御案じ被下間敷候。扨当地当二日大地震に付、毎々態々御尋披下、御厚情之段奉謝候。当院{〓}も早速にも申遣度候得共、誠以甚だ取込、何分行屆不申候。扨野院儀も、兼而檀徒側{〓}御聞分も御座候哉、方丈築地不残、廟所向誠以大崩、不残こみじに相成り、其外門内・外高塀・門番所、其外供待、玄関の高塀及び便所、大庫裏、小庫裏、總瓦不残ずり落、土藏は半崩、米藏相崩、其外庭廻高塀は勿論、竹垣等、石垣等、不残相崩れ、今日に至り地震不相休、此上如何に相成候事哉と、日々不安心之室に御座候。留守中故甚以心配いたし候。乍併御表役人中追々参り見分、当八月法事前迄には、荒増は片付候樣、掛合中に御座候。夫故誠以繁多にて困り入申候。其外山中常往向は不申及、諸院不残大小之崩れ御座候。一々中々以筆紙{〓}盡候。餘は当院之御行事にて御知可被下候。貴地は格別之儀無御座、先々御安心之御事に御座候。七月十三日明信寺中麟祥院一、地震左之通、十三日巳之刻大一、同亥子之刻、同断。同丑刻大三中、十四日、十五日は格別之響なく。十六日朝卯辰之同大一。其余とん/\いたし候得共、さしたる儀も無御座候間、先づ安心仕候。右之段申上度、餘は後音可申上候、巳上。七月十七日林鷹治郎一、今朝承り候処、昨日之大雨にて、伏見街道五條下る二丁目・三丁目は、水之深さ四尺餘と申事にて、床に溢れ、二三人も死人有之候由。尤も同所東に音羽川と申す小川有。深さな夫張加茂川同樣にて御座候処、昨日之大雨にて加茂川洪水にて、音羽川へ溢れ下り候水、自然と同所へ溢れ候事と承事に御座候。二條之御城西手石垣凡七八間通り崩れ堀に陥り、実に其響雷の如しと申す事也。二條は現に見聞いたし候人之物語にて、決して先日巳來風評いたし候。丹後{〓}馬之荒之空談之類には無御座候に付、乍序一寸申上候。其餘は昨日申上候通に御座候。一、地震雨の次第左に、昨夜亥子の刻、中一。今朝より暮に掛ては、一向覚え不申候。雨は昨宵連夜{〓}今晝迄、晝後は一端止候得共、兎角曇天にて困り入申候。併雨は先納り居申候。右大略申上度、餘は追々可申上候。已上。七月十九日林鷹治郎二白、昨日の大雨にも、当町内、其外懇意先何も無{〓}之由、御賢慮易思召可被下候。併地震之上の大雨故、京中之人は実に青い面と申す事也、御推察可被下候。一、此間中之晴雨、地震は昨夜迄に申上候通り、其後は夜前九つ時迄曇天也、雨なし。子の刻より雨降り、通宵いたし、今四つ時に漸く止む也。併し曇天、夫より九つ時より少し雨、七つ前止み、只今にては晴候模樣也。地震は、昨夜初更前大地震、一、同夜七つ時、中一、同七つ半、同断、今辰の刻大地震、二日巳來之事也。同午刻、中一、同午下刻、同断、同末刻同断。先此通り、{但}びり/\は不絶御座候。今晝少し過ぎ雷鳴、内を明け両三度飛出し候事有之候。右申上度、早々巳上。七月廿日林鷹治郎扨先日より只心ならぬ有樣之処へ、一昨十八日・十九日之大雨にて、所々大きに損じ、又当二日よりの損じたる家々、先人之住居は片付候得共、諸道具抔戸板を以て假家拵へ候処へ、右之大雨にて難儀なる事、誠に気之毒の次第也。十八日・十九日は、晝夜に八九度づつ又々地震ゆる也。何共気味悪き御事に御座候。清水の廊下少々すだり候よし、音羽山少々崩れ候由、承候。右に付、伏見街道は海道ぢやと申也、見に行く人も有之候得共、拙宅も御存之通り車之輪形にて、水大溜りの所へ、内へも少々は入さうにて、中々外へは出る事叶はず。西洞院通、又堀川、右両所は当四月の水にも同樣之事に御座候。先日も申上候通、地震之節は絵本に有候通之有樣なれ共、此度は大雨之中之地震に候得ば、如何成り候哉と、互に顔見合す顔は、当世浮世絵書も及ばぬ有樣、あわて廻る所は、鳥羽絵にならば書もならうか、下略。七月廿日半兵衞一、地震、昨日は地響計りにて、格別無御座候様覚え申候。一昨夜初更二つ、中一。同四つ時迄小四つ、今末の刻中一、尤今朝五つより八つ時迄びり/\は八九遍程、今酉の下刻小一、びり/\は夕方より只今迄四五度計り。七月廿二日夜五つ過認む林鷹治郎廿四日中・小、合七つ。廿五日、中・小、合九つ。内二つは中之少増し。右申上度早々巳上。廿五日鷹治郎廿六・七・八日も晝夜度々之地震にて、廿九日明け七つ時{〓}、大雨、大雷鳴・雷光甚だしく、夜明けて止み、廿九日は大悪日なれば、之にて事済せし事ならんと思ひ居りし処、申の刻{〓}又大雨・大雷、日暮に至り止みしかば最早地震もよもや有るまじと思へるに、初更に至り中位なる地震にて、地鳴・山なり等も折々有り、晦日も同様にて、時々ゆら/\・ドウ/\・トントン/\と云ふ音して、地震有り、八月朔日に月も替りし事なれば、仔細あらじと思へるに、ゆさ/\・ドロ/\・ドン/\にて手の刻地震。一、地震之儀、今以相続き、日々少々宛御座候内、五日・六日に二つ計り宛中印有之、同八日度々有之内、中之大七つ有之、先此間中の玉にて御座候。今九日は辰中刻小、其後は格別之儀無之、右爲御知申上度、如此に御座候。巳上八月九日林鷹治郎寺町通り石楽{師}御門下る西側に、押小路大外記殿といへる殿上人有り。至つて貧窮の暮しにて、愍れなる有様なりしに、地震にて屋敷大破に及び、浅間しき有様なれども、是を普請する手当もなく、聊の金借れる方もなければ、詮方なくて、普請の事を公議へ願ひ出でられしにぞ、これを聞済まし有しか共、御所を始め、二條の御城の大破に及びしをも、直に御修復もなき程の事なるに、堂上一統大破にて、何れもこれを願ひ立てらるゝにぞ、急には取掛りがだくてや、其侭に爲し置かる、にぞ、押小路殿には、種々にして風雨を防がんとせられしかども、打続き度々の地震に悉く崩れ、今は突張つヽぱり以て之を持たす事もなり{〓}く、居処さへもなき程に成行きしにぞ、大工を招き、「斯かる様に成行きしかば大いに困り果てぬ。此古木を用ひて、居処と飯焚所さへ有れば、夫にて宜しきが、何程にて出来なるや」と尋ねられしに、之を{〓}りて、しか/\の由{〓}へしかば、夫にて普請の事申附られしに、斯かる困窮の事なれば、「先金を受取らではなり{〓}し、渡し給へ」と云ひぬるにぞ、聊の手当とてもなき事なれば、詮方なくて途方に暮れられしかば、大工云へる様は、「斯くては外に詮すべなし。然し土藏一ケ所無{〓}なれば、これを売払ひ給はヾ、可なりの御住居にはなるべし」と申しぬる故、外に致方なければ、「しかすべし」と、其手積をなし、藏の内より物取出し、反古など取調べられしに、智恩院の古證文一通あり。其文言に云ふ、「四條縄手に於て四町四面の地面、慥に預り候処実正なり、何時にても御入用之節には、返済可申由」なり。是迄数百年來此證文有る事を知らず、故に如何なる事共分かり{〓}き事なれ共、斯かる證書の事故早速所司代へ之を持出で、宜しく御計らひ被下候様願はれしに、所司代申さるゝには、「斯かる慥かなる證書これ有る上は、道に御掛合ひあるべし。若し故障の筋もあらば、其上は此方の計らひたるべし」と答へられしかば、右證文を以て、押小路殿より、直に智恩院に掛合有しか共、同寺にても一向申伝へし事もなく、是を知れる者更になしと雖、無相返證書なる故、舊記悉く取調べしにぞ、其事相分りぬ。こは古への事なりしが、縄手三條辺は大和小路とて、河原にて人家は申すに及ばず、畠さへこれ無く、至つて悪地なる故、之を発開する事もなかりしかば、旅人・乞食の類常に此所に行倒れぬるにぞ、其頃は押小路の領地なりしが、聊の益とてなく、毎々行倒者の取片付けに困じ果てられしかば、幸ひ智恩院の近辺故、右地面を同寺へ頼み預けられしと云ふ。斯かる地面の事なれば、再び取返す心得もなく、其侭に打捨て、云伝ふる事もなく、今にては大いに繁昌の地となりしかども、後に至りこれを知る人さへなき様になりしなるべし。智恩院にても此事明白に分りしかば、「何時にても御返し申すべければ、御受取り有るべし」との答へなるにぞ、押小路殿には、夢見し如く、思ひ寄らぬ家督に有附き給ひぬ。然るに縄手三條下る所より祇園新地・四條芝居の辺、凡て京都川東にて、当時繁昌の所を引拔四丁余方、新に地頭替りし幸なるにぞ、所の者ども、何れも寄合をなし、「堂上の領地となりては、巳後何事に寄らず迷惑の事多くあるべければ、いづれも申合はせ地面買取るべし」とて、金子六千両より追々に直上げし、一方両迄附上しかども、押小路殿には是を諾うべなはず、此度改めて右の地面引当に智恩院へこれを預け、金子二千両借り度き由、掛合かけあはれしに、同寺にても、これまで数百年の間右地子を取收めし事なる故、早速に是を諾うべなひ、其金を出せしと云ふ。至つて繁昌の土地故、右二千両の借金は程なく相済み申すべき事にて、永々押小路家の家督とはなりぬ。地震なくば此事も知らで、これまでの如く貪困に暮さるべき事なるに、地震の大変に困りて、斯かる幸を得し人も一奇事と云ふべし。天保二辛卯の秋の頃にいたり、誠に困窮に迫り、如何ともしがたき所にて、かヽる幸を得られしと云ふ。近来珍らしき幸福なりとて、其噂高かりき。禁裏御所、御門・御築地等壁落ち屋根損じ、所々これ有りと雖、格別大損じには非ずと云ふ。仙洞御所、御築地悉く倒れ、大破、損にて、御内を見透しぬる故、幕にて圍ひ有りと云ふ。女御御所は、格別損じなく、御築地も其侭にて有りぬる由。有栖川宮、土藏一ケ所崩れ、北の方の塀倒れしと云ふ。京極宮、閑院宮、何れも大破損の由。関白様・九條様・一條様・二條様・近衛様大いに損じ・其外堂上方一統大破にて、大いに御殿を損じ、塀・門等の崩れざるはなし、六門悉く破損すと雖も、堺町御門・寺町御門尤も甚しと云ふ。寺町通寺々の門・塀、一として倒れざるはなく、其碎けぬる様を見るに、大道へ豆腐を打付けし如しと云ふ。本堂も大体ゆがまざるはなく、瓦を飛ばし、壁は大方落ちしと云ふ。二條御城西手の御門、下石垣三尺計り地中へゆり込み、御門は屋根くだけ散りて、人の尻餅をつきしと云へる様に成りて有りと云ふ。此門の北手四五十間計り、南手にて十四五間石垣崩れ塀倒る。又城の南面は、一統に七八寸計りも地中へゆり込み、石垣の半ばにて折々石飛出で、東の、門崩れて有りと云ふ。塀・矢倉等悉くゆがみ土落ちて有り。右の如くなれば、城中も大破にて、黒書院千疂敷と云ふ崩れしと云へり。其外近辺の屋敷悉く塀倒れ家損じ、城外広小路所々地裂け、大なるは一尺、小なるは三四寸、深さ大抵三尺計り有りとなり。地震ゆると其侭、所司代松平伯耆守再幾国宮津城主。には、馬に打乗り、御城内へ馳入られしが、家來一人も出で來らざるにぞ、夫より只一騎禁裏御所へ馳付け、六門をも乘越え、天明の大火に亀山候には下馬札に火事羽織を打掛けて乗込まれしと云ふ、此度は其侭にて乗打せられしとなり。御台所御門前に馬を乘放して参内有り。天子の御機嫌を伺ひて出られしに、未だ口取さへ出で來らざりしとなり。夫より直に、仙洞御所へ参内有りしに、斬々と此所にて家來追々馳來りしと云へり。地震三更過より追々ゆるやかになりしかども、絶間なく震動する事なるに、明日朝に至り、何者とも知れず、「今日申の刻には、又もや大地震ゆり戻し有りて、京中顛くつがへるべし、若しさなければ火事有りて、悉く燒失せて残る家なし」など、專ら流言せし事なれば、前日の地震に何れも心顛倒へせし事なれば、老若男女上を下へと騷動し、神を祈り佛を念じ泣き咲く声のかしましく、誠に哀れなる有様なりしかば、直に議奏・所司代等より触ふれを出し、「右の如き噂致しぬる者有らば、直に召捕りて出すべし」と、嚴しく仰渡されしに、其日何事もなかりしかば、少しは人々心を安んぜしか共、何分にも幾度といふ限りもなく、晝夜共に大小の地震震ひぬる故、何れも薄氷を踏む心地なるに、家も藏も締しまりなき事なれば、盜賊・火附大勢徘徊し、所々にて物を取られ、一日の内幾所となく附火つけび有りて、其騷々敷事、之を譬ふるに物なし。所司代・町奉行等より嚴敷手当有りて両三人計りは召捕られしか共、少しも始めに異なる事なければ、又々嚴しき触有りて、「夜分無提燈にて歩行きぬる者は、士、町人に限らず一々召捕るべし」と也。此事所司代より殿下へも御達し有りて、たとへ宮家の御家來たりとも、無提燈なるは一々召捕らへらるゝ様に成りぬるにぞ、少しは穩かになりしと云ふ。され共地震止む事なく、世間至つて騷々敷き事なれば、町奉行より内々御頼の由にて、木村・小堀・角倉等よりも役人を出して、市中を巡らし非常を戒め、所司代は二日より七日迄禁裏へ詰切つめきりなり。其余禁裏・仙洞の御附きも終始詰切にて守護し奉ると云ふ。愛宕山は所々崩れ、坊二つ計りは谷底へつり付き、茶店の類一つも残れるはなく、嵐山も裂け、天龍寺の上なる山も同断にて、平地も所々裂けぬるよし、家藏の破損挙けて算かぞへ{〓}し。浪華福島鳥羽屋儀兵衛、折節上京にて本能寺へ滯留中、此地震に出遇ひぬ。同人の噂に、七月七日廣橋一位殿本能寺へ墓参にて、禁中の様子を御咄しあり。主上・上皇共、二日の地震をば御庭なる築山に出御ありて御避給ひ、公卿・殿上人も残らず御側に伺候す。所司代にも「近く参りて守護し奉れ」との勅命にて、御築山の元に坐して、晝夜の差別なく、七日迄座を動く事なし。七日に至り、「裝束手丈夫に仕替申すべし」との勅命にて、其後暫休息すべき由勅命有りしと云ふ。天子にも七日迄庭上に座を鎭め給ひ、二三日は一向供御も召上らず、典薬より、練薬、煎薬{〓}を奉りて、是を召上がられ、御手水の節には、非藏人四五人にて之を助け奉りし事なりとぞ。公卿百官何れも、二三日は練薬、洗薬等にて、しのぎ給ひしと語り給ひしと云ふ、又少しも座を動き給はざりしとも云ふ。庭上に其儘はだしにて飛下り給ひしなどとて、種々の巷説あれども、これに従ひ{〓}し。広橋殿本能寺にて物語せられしを、取りてこヽに記るしぬ。〔頭書〕所司代には、近く参りて守護し奉れとの勅命故、王座近き事なれば、圓座を敷く事もなり{〓}く、七日まで土の上に坐せられしと云ふ。二日地震最中、二條城に入りて、夫れより禁裏・仙洞へ参内の事・あつぱれ所司代を勤めらるゝほど有りて、かく有る可き事なり。然るに家中には大いに狼狽のみにて、一人も主につく家來の無かりしは、如何なる事ぞや。平日何のために扶持せらるゝ事にや、かヽる騷動の中にて、若し主人に過ちあらば如何にせんと思へるにや、不覚悟の事どもなり。かくて地震日々ゆり動く事、其数多き事なれば、京中の町人何れも、門中・河原等へ疊を持出で、幕・風呂敷・戸板等にて、己れ/\が家の間口丈けの構へをなし、杙を打つて蚊帳をつりなどして、薄氷を踏む心地なるに、築田青蓮院宮様、日暮過ぎて参内せんとて、供人もしるにとて、先へ高張を燈させ、寺町通を北へ、「朕へよれ、よけよ、控へよ」抔と、声荒らかに、{〓}の者共掛けしかば、大道住居の町人共大いに腹を立て、「此騷動の中にて、人を拂ふは、どなたなるや」と云しかば、「青蓮院の宮様なり。早く除よ」と云ぬるにぞ、「宮様にもせよ、如何なる御方にても、此騷動に左様の儀相成らざれば、其方より途を除けて早く通られよ。老人・子供・病人なれば、少しも動かし{〓}し」と、口々に呼ばはりて・少しも頓着せざるにぞ、侍共大いに怒りぬるを、宮には、輿の内より「よけて通るべし、人に過あやまちさすべからず」とて・行過給ふに、所々にて蚊帳の釣手に引当り引掛りなどすれば、「こは産婦の今頻に悩めるなり、除けて通られよ」など、声高に罵るにぞ、高張を倒し、輿を下げて、これをくヾりつゝ行過ぎ給ひしを、{鳥}羽屋儀兵衛本能寺より此様を見て有りしが、人も必死の場所に望み腹をきはめぬれば、何にても恐しき物なし、其節の人々の勢ひ甚しき事なりしとて語りぬ。二日の地震よりして、日々数多の震動止む事なく、其間には、叡山、愛宕山等鳴動して、一統少しも心を安んずる事なきに十八・十九両日共、一天滝の漲り落るが如くに大雨降り、雷鳴甚しく、如何に成行く事ならんと、皆々恐れをなしぬ。みる間に大道一面川の如く成りしが、賀茂川は素より、清水の滝の流れ、音羽川といへるに、一時に水漲り落ちて、伏見街道五條下る辺にては、四尺余平地の上に水流れ、地震にて損ぜし家に、大雨にて水内へくヾり、何処彼処どこかしことなく雨漏りて、これに困窮なるよ、又もや洪水床の上二尺余に及びしかば、其狼狽これた譬ふるに物なし。併人死は僅か三人なりと云ふ。定めて怪我せし者も多からんと覚ゆ。堀川にては本国寺薮へ切れ込みし故、下辺大に助かりしと云ふ。併し七條の辺は、何れも床の上へこえしと云ふ。併し家々の損じ大層の事なりとぞ。伏見は、二日の地震にて家も処々損じ、其後日々幾度となくゆり動きぬれども、京都程にはなしと云ふ、十九日の洪水も、暴かに宇治川水高く、京都と両方よりの流れにて、暫しは水につかり、床上一尺余に及び、如何せんと騷動する内、槇の島より南へ切れ込みて、南一面の水と成りて、淀の方へ流る、にぞ、淀にては床の上三尺にも及び、大変の事なるに、伏見は大いに水引いて、同所より淀の小橋辺迄は、裳をかゝげて川中を歩まれる柱になりぬ。小橋より伏見迄五十丁の間は、常に水深く瀬強き事なれば、登り船には、何時いつにても小橋よりして引手をましぬる事なるに、其後は水少き故、伏見の乗場迄は船著け{〓}しと云へり。二日の地震にも、牧方の上手より所々堤等裂け崩れ、家・藏等も倒れ、淀も同様なれども、伏見よりも手軽き様に思はる。鳥羽街道の堤三十間計り、三尺程地中へ搖込み、小家少々損ぜしと云ふ、其外芥川・江口等にても、小家塀抔ゆり倒れしに、近辺なる茨木、高槻等は少しも損ずる事なく、結局伊丹にては、石の鳥居、石燈籠・土藏等をゆり倒せしと云ふ。西宮・尼ケ崎なども少々損ぜしと雖、これ等は未だ確かなる事を聞かず。大坂にては、余程震動せしかども、十二年前卯六月十二日にゆりし地震よりは少し手軽き様に思はる。其節の地震には、住吉の石燈籠・南都の春日の燈籠をゆり倒し、近江にては、人家、寺院等多く倒れ、地裂けて泥を吹出し、死人、怪我人有る事仰山なりと云ふ。此度に於ては、住吉・春日は云ふに及ばず、{〓}波新地辺にては、誠に聊かの震ひにて、住吉・堺等は、尚更手軽き事にして、「今の〔は〕地震にては無かりしにや」しと云へる程の事なりしとぞ。されども浪華にては、京都の響と見えて、八日の夜三更・五更と両度ゆり、十日午の刻一度、十一日夜四更一度、これは二日此方の地震なり。夫れより折々、地響の様にて幽かにびり/\する事折々覚ゆ、十九日酉の刻一度、廿日辰の刻一度、廿三日未の刻一度震ひぬれ共、格別の事にてはなし。廿九日寅刻より大雨・大雷電、辰上刻止む。十八・九両日の大雨、京地に同じけれども少しも雷鳴なし。大川筋常水より高き事五尺計りにて、聊かも水の患ひなし。同日池田川洪水、順札橋流失、人死ひとじに、怪我人餘程有つて、田地をも損ぜしと云ふ。福井と云へるは、勝尾寺の麓にて、地面も余程高き所なるに、床上より上に水つきし事一尺余と云ふ。富田相村{〓}も、床の上一尺余の水なりしと云ふ。宇治も地震にて所々損ぜし由。大津は、格別の損もなく、地震も至つて軽く、大津と京との道の半ばよりして、大津方は何事もなく、京都の方は、家も倒れ大いに破損して有りと云ふ。鷹が峯にては幅一間餘に長さ三十間餘の所、地面引くりかへりしと云ふ、こは浪華江戸堀一丁目中筋藤兵衛親類の屋敷なり。其余家藏一つとして無事なるは無しと云ふ。十八日の洪水の前、清水本堂へ取掛かる所廊下少々すり落ちて、二間余りも損じ、地主権見も其節損ぜしと云ふ。廿二日祗園下河原七観音の本堂崩れ倒る。同日高台寺の庫裏倒れ、人死有りし由なれども、上向は内分にて済ませしと云ふ。十八日の洪水に、下津より少し下にて堤切込み、山崎一面の水浸しに成り、宝寺八幡宮辺の町家迄、床上三尺余の水なりしと云ふ。明信寺弟子宗愛が云へるには「地震にて破損せしを角力に見立て番付にせしに、御室は西の関にて明信寺は関脇なりし」と云ふ。又同人が咄に、「一條御城の修復二十五萬両、御室の修復六万両と、大工棟梁中井岡次郎が凡その積なり」と云へり。余は是にて知るべし。京地大地震八十年已前に有りし時も、五十日計りゆり続きしが、次第に軽く成りて納りし由なり。此度の地震も、かヽる先例あれば、また暫らくは搖るべし抔云ひて、八月の差入さしいりにもなりしかば、皆々地震に馴れて、人気も落ちつく様になりぬ。此度地震の爲に変死せし者四百三十八人なれ共、病人、産婦の類は、これに驚きぬるより変症を生じ、死せる者追々多く、小児は病を発し、妊娠は悉く堕胎す。医と産婆と、これが爲に日日奔走して寸暇なしと云へり。浪華国島より上京して、富小路殿姫君小宰相典侍と申奉る、御局へ八年余も勤めし女有り。此者御見舞見物旁{〓}此度上京して禁裏・仙洞、其外所々方々、地震にて損じたる様を委しく見來りぬとて、委しく語れるを聞くに、二日の夜は、「天子始め奉り、御庭の住居なるに、漸々と夜気を避くる覆ひ出来しは、王座のみ計りにて、太子、女御の御上には、傘差懸けて夜を明かしぬ」と云ふ。典侍及び諸公卿等は、其侭にて夜をし給ひしとなり。女御様御藏一つ崩れしと云ふ。内侍所へ不浄の土入れしと云ふは実説にて、又百人余の人夫にて取捨等事なりとぞ、普請奉行の罪遁れ{〓}き事なれども、天子もこれを憐れみ給ひて「これを罪する事なかれ」との叡慮の由。又「此度地震にて変死せし者共の弔をなし遣せ」とて、寺々へ勅命有りしと云ふ。昔吉備公入唐の節、彼地より持帰られし紫錦藤にて作れる琵琶あり。紫錦藤は阿蘭陀木にて、藤の大なるなりと云ふ。常の琵琶三つかけし如く大なるが、之を彈ずる時は、怪しき事有つて不吉なりとて、出雲大社へ奉納になりしと云へり。然るに当仙洞には、音樂を好み給ふ故、國造に命じ、此図を写さし獻覧の上、其琵琶を取寄せ給ひ、長く留め置かるヽとて、三年に及びしに、大地震其崇にや抔、專ら風説あるにぞ、「早く取りに來れ」との勅命にて、大社より九月朔日是た受取りに上京せしと云ふ。これ等は王位軽るきに似たり。一つの琵琶何ぞ此くの如き変を仕出すに及ばんや、怪むべし。只其形白木の古びし如くにて、てんしゆに皮を当て、龍虎を其皮に晝けるにぞ、龍虎の琵琶とも云ふとなり。此度の大地震不思議なる事三つ有り。北野天神の本社拜殿計りは少しも動く事なかりしと、西六條茶室の庭先、縁より一間余を隔てたる石燈籠の屋根、かむり笠の格好なるが、内へ飛込み、茶室の床の壁を横に打拔き、水屋へ落ちしが、下に茶碗ありしに、其上へ落掛りしに、其茶碗少しも損ぜずして、大なる屋根石其上にすわり有りしとぞ。餘り不思儀なりとて、其石を以て壁の破れに合せ見るに、きつしりとして、此石通抜けし外に少しの損じもなしといへり。又{烏}丸の出水には、東向の藏の少しも損するなくして、北向になりしと云ふ。此藏は後年咄の種に其侭になし置くといへり。地震追ひ/\少くなり、鳴動する事も次第に薄らぎぬる様になりて、或は二日、三日に一二度位の事なりしに、九月十一・十二・十七・廿三・廿六日等には、餘程大なる地震にて、人々膳を消しぬといへり。十日の未に至れども、折り/\地震、山鳴等有りと云ふ。十月六日酉の刻、同八日寅の刻、両度共七月二日以來の大地震にて、京、伏見、亀山等にては、大いに恐れ、大道へ疂持出し、暫らく其上に居て、一人家に有る者なかりしと云ふ。全く七月の地震にこりし故なるべし。され共暫しの間にて両度共相止みぬ。大坂にても余程の震ひなりし。十二月廿八日酉の刻、少地震、同廿九日午の刻少地震す。大坂此くの如くなりしかば、京都も定めて震ひし事ならんと思はる。程過ぎてこれを聞きぬるに、七月二日巳來の大地震なりしと云へり。地震之節役録丹後宮津所司代七万石松平伯耆守大御番頭一万石新庄主殿頭大御番頭一万五千石内藤豊後守二條御殿預四百石三輪市十郎御鉄炮奉行三百廿石松平市右衞門二條御藏衆百五十俵佐々竹三四五郎同御藏衆百五十俵石寺八藏同御門番二百俵石渡亀治郎同御門番百五千俵水野藤十郎御目附間部主殿頭御目附木下左兵衛御町奉行三千五百石小田切土佐守御町奉行二千石松平伊勢守禁裏御附二千五百石野一色信濃守同二百俵堀尾土佐守。仙洞御附千石永井筑前守同五百石御手洗出雲守。禁裏御賄頭二百俵比田川定次郎禁裏御所方竝山城大川筋御當請御用兼帶御代官六百石外小堀主税史川遍書船支配二百俵角倉爲二郎同御代官兼帶役二百石木村宗右衛門桂川筋賀茂川堤奉行廿人扶持角倉帶刀御代官大津町奉行兼帶二百俵石原清左衛門御代官後茶御用掛兼帶五百石上林栄次郎御茶御用掛り三百石上林又兵衛伏見御奉行一万石本庄伊勢守交代御火消十五万千二百六十八石郡山松平甲斐守同六万石膳所本多下總守同十万三千石淀稲葉丹後守同五万石亀山松平紀伊守同三万六十石高槻永井飛彈守御大工頭五百石四十人扶持中井岡治郎同棟梁百石辨慶仁右衛門同棟梁三十八石矢倉又右衛門同七十五石泡上直三郎右之外北面、医{師}・與力・同心之類之た略す。御城内にも餘程死人・怪我人ある由、されども是は深く秘して有る事なりとぞ。故に詳に知り{〓}し。京都大地震之次第。是は早速に板行にて賣歩行をし書附なり。一、去る七月二日七つ時、大地震ゆり出し、其巖數事言語に述べ{〓}く、都は今も大地に入るかと疑はれ、家々の土藏は潰れ、或は壁崩れ、又は裂割れて、凡そ京中の土藏一ケ所も満足なるは有間じく、端々の家一時に崩る、音誠に夥しく、洛中、洛外家毎に疂を大路に投出したれば、吾一と屈蹲踞りて、其侭此夜を明したり。此日晝夜大小となく震ふ事、凡そ一時に、二十ケ度より三十ケ度づつ震ふ。故に老人・小兒或は女、東西の廣野又は東川原へ、逃出ること顆し。内に残る者は大路に疊を數き、戸・障子にて囲ひ、こヽに蹲踞りて、三日・四日の夜を明かす。五日には少し又おだやかなり。然れ共今に一時に七八度より十二三度づつふるひ申候、亀山大変一昨二日夕七つ過頃大地震、御殿向所々大損、河原町御番所打倒れ、三宅御番所高塀同断、其外町家三宅町にて八軒、柏原町十三軒漬れ申候。三宅御番所より東にては、一軒も無雉之家無之、大方住居は不相成候由。其上怪我人多く、即死四人、河原町宇津根辺潰れ家余多の由、野原庄之進川添に有レ之長き米藏打潰れ候由、誠に前代未聞之事に御座候。且地震夜中三四十度計も鳴動いたし、中にも両度程餘程之地震御座候。今朝に至り鳴動不相止、誠に恐敷事に御座候。併し今朝は穩に相成、折々少々づつの響にて、漸く人心地に相成申候。先づ家中向は無別條、且御親類樣方御無難に候間、御安心可被成候。又々諸向御繕ひ、御普請御物入と相成、恐入候儀に御座候。猶追々可申上候。先づ只今迄承り候儀、荒増申上候。可恐々々。七月四日滝田庄太夫過屆一、町在崩家四十一軒一、死人四人一、怪我人五人一、損所五十ケ所右土外堤缺、道損じ、小家・土藏数を知ざる位なり。余程の損耗なり。先達て認候は、御城下計り故、違候ゆゑ、此書付の通御写し、小林氏へ御見せ可被下候。町在〆如此に御座候。右之通御承知可被下候。其外少々の損じ、壁落などおびたヾしく候。前代未聞也。七月七日酒井左五衛門御玉章拜誦仕候。如仰残暑強く御座候処、御挙家樣御壯健被成御凌、奉恐賀候。然者、先頃当地大地震之樣子被成御承知、預御紙面難有奉存候。其御地は、格別之地震も無之由、致承知、夫故御尋も不申上候。当地町家には、潰家四十軒計り、圧死人、怪我人等も少々有之候得共、一類中初、私宅格別之破損所と申すは無御座候間、乍憚御安慮可被下候。右御礼爲可得貴意如此に御座候。恐惶謹言。七月十三日大竹吉右衛門貴札拜見仕候。未だ残暑強く御座候処、益々御壯健、奉恐賀候。隨て私方皆々無異相勤候間、乍憚御休意可被下候。扨又当月二日大地震に付、早々爲御見舞預御紙面、忝存候。先づ家中一統格別大損は無御座候得共少々宛は家竝に損申候。私方親類之内、別條無御座候間、是又乍憚御安心可被下候。町家大荒にて、柏原・三宅両町にて、家数三十軒計り倒れ、其外家毎に大損、未だ地震相止不申、甚珍敷事に御坐候。其御地にては、御別條も無御座候樣子承り候故、御尋も不申上、御無沙汰仕候。先は右御礼御益旁{〓}爲可得貴意如此に御座候。尚追々可申上候。巳上。七月十九日樫田藤治一筆啓上仕候。末だ残暑強く御座候得共、御家内樣方御揃彌{〓}御壮栄可被成御坐、珍重御儀奉存候。隨而当方無異罷居候間、乍憚御休意思召可被下候、然者先達ては、京都{〓}当地殊之外大地震にて、当所城中家少々損所も有之候得共、けが人は無御座、町家多分大崩有之、即死、けが人も有之、未だ少々之地震日々三四度程有之、夫故{〓}角不安心に御座候、其砌は御見舞御紙面被成下、難有奉存候。御地は無御別條之趣、御同慶奉存候。早速御礼可申上筈に御座候処、盆前{〓}私儀不快にて、引籠罷在候に付、御報も延引仕候。此段御高免可被下候。以御影拙家無異、私儀も此節にては追々全快仕候間、乍憚御安心思召可被下候。且又養父一回忌、養母三年、当月廿日佛事仕度候間、遠方御苦労之御儀に御座候得共、御出被下候樣奉願上候。別段申上候筈に御座候へ共、此度之幸便に付申上候。右申上度、御報旁、如此に御座候。恐惶謹言。八月二日長谷川十内貴札拜見仕候。秋冷相催候処、被成御揃益御安康被成御座、珍重奉存候。隨而小子宅何れも無事罷在候間、乍憚御安意可被下候。其後は打絶之御安否も不相伺、何共背本意候條、奉恐入候。何分小生足痛も未だ聢と不仕、夫故気分不相勝、不計御不沙汰申上候。何分にも御高免被下度候。扨又去る二日、御聞友通、京地{〓}亀山、寔に前代未聞大地震、両三夜計り門住居にて夜明し仕候。其後迚も、枕高うして寐候事も出来不申、干今至り晝夜に七八ケ度宛日々ゆり申候。併し差したる儀では無御座候得共、何分最初之手ひどき地震に恐入、扨々困り入申候。右に付、早速御尋被成下、早々御返{〓}差上可申之処、前段之有樣、延引相成候。呉々御高免奉希候。先は右御受旁{〓}如此に御座候。恐惶謹言。七月廿一日西垣大助別紙申上候御内政樣へ宜しく御伝声被下度奉願候。妻よりも御ふみ差上申度筈之処、盆前より中暑、且地震びつくり仕候て哉、不相勝スグレ罷在候。無其儀、私より右之段御断申上呉候様申出候。右之段御内政樣へよろしく御断被仰上被下度奉願上候。扨私儀も、六月出勤漸々やう/\十日計り相勤め、直に引籠罷在候処、于今引籠保養仕居候に付、くはしき御事は見不申候得共、忰共見受候趣、一、柏原町家数八十七軒之処、十八軒潰れ申候外は、不残大ゆがみ、其後追々之地震にて、五軒計り又潰れ申候。即死人三人、怪我人十人計りと申事に候。一、三宅町家数八十計之処、十二軒潰れ申候。いがみ、への字形に相成候家数廿四五軒計、即死人三人、怪我人十五六人と申事に候。其外町方家中共大体への字形に相成候家数夥敷事に御座候由。荒増承り候事申上候。巳上。浪華亀山の用場に出役の役人宍倉只ヱ門、主用に付、八月五日立にて、亀山へ到り、同八日に帰りしが、彼地今以て晝夜に八九遍計り地震之あり、日々二つ三つはひどくこたゆる地震有りと云ふ、此度の地震にて、所々損ぜし有樣目を驚かす事なりとて、詳しく其有樣を語りぬれども、餘りくだ/\しければ、其二三を挙げて之を證すべし。一、柏原町醤油屋、此家の〔主人脱カ〕至つて好人物にて、家業を出精し、倹約を守りぬる故、商賣大に繁栄し、積財する事多し。亀山より京都へ出づるに、大江坂といへる峠有つて、至つて道悪しく、人馬の常に往来に悩めるにぞ、此者財を散じて、衆人の爲に其道を造り、又貪人等には相等の施しをもなしぬるに、近頃病臥して有りしにぞ、之が親類より娘を見舞病人の友なり。として、七月朔日に差越しぬるにぞ、之を留置きて、介抱をなさしむ。二日の朝に至りて、此娘云へるやうは、「一寸御見舞に参りしなれば、滞留するの心組もなく、著替一つた持たざれば、今朝内へ還り、滞留の心積して程なく来るべし」とて、家に帰り、「今日は何とも心悪しくて、先の家に居る事心ならざれば、今日一日は内に有りて、明日より参るべし。今日の処は断りやりて給はれ」と、両親を頼みしに、両親これをうけがはずして、「病人の介抱させんとて留めぬるに、今日は行かじ杯いへるは、其方の気侭といへるものなり。病人の事なれば、嘸待侘びて有べし。早く参るべし」とて、無理に追遣りしに、間もなく大地震にて、病人・其娘、外にも家内一人、都合三人、此家崩れて即死せしと云ふ。其親大に後悔して、「かヽる事の心に徹して、行く事をいなみぬるを、無理に追ひやりて、親の手にて殺しぬるに等し」とて、大に歎げきぬるよし。一、三宅町茶屋鍵屋といへる有り、地震ゆると其侭、老人・夫婦・息手等散り/\になりて、裏表へ逃出でしに、嫁は懷妊にて月重りし事故、逃げ後れぬるにぞ、息子も之を案じ、門口迄跡戻りすると、家内の逃出づると一時なりしに、今一足の事にて、其家崩れ、妻はこれに打たれ手足共所々へ飛散り、腹破れて飛出しと云ふ。夫は一且無事に逃出せしに、これを助けんとて、跡戻せし計りにて、命に別條はなしといへども。大いなる怪我をなして、廃人と成りしと云ふ。一、或家には、晝寐せんとて、夫婦と子供両人梁の下に休みしが、此日は分きて暑さの堪へ{〓}くて、寐る事なり{〓}かりし故、暑を避けむとて、主は子を抱きて表の方へ出でね。妻も引続き起出で、行水の料にせむとて、手桶取つて井の元へ行きぬ。右の子も母親の跡に附添ひて裏へ出でぬるに、井にかヽりて、未だ水を汲上げざる内に、地にて其家崩れ、梁寢処へ落ちて、布団を貫きしと云ふ。これらは暗にして其{〓}を逃れしにて、幸と云べし。一、或家の家内、小兒を寐させんとて、之に添臥し、小兒と共に睡りて有りしに、地震ゆり出で、其家をゆり潰す。地震勢にてかくなりし事と見えて、両人の上に疂一疂裏返りて覆ひ懸りし故、潰れたる中に有りて、親子共命を全うせしと云ふ。是等の事にて、其幸、不幸を察し、其余は推量りて知るべし。右大地震にて家を倒し瓦を飛ばし、何れも大に狼狽して心顛倒せし事なれば、「助けて給はれ」といへる声の、人の耳に入りて、是を救出せしは、遙に時過ぎし事なりと云ふ。又此度倒れし家を見るに、瓦葺の家は悉く微塵に碎け落ちて、死人・怪我有りしが、藁葺の家は、多くは椀をふせし如くに成りて、形崩れざる家多しと云ふ。總べて天地の間に於て、物の十分なるは無く、火に良きは水に、悪しく、此に良きも彼に悪しゝ。事々物々に一失一得有る事なれば、中庸を心として、常々工夫有りたき者なり。又兵家者流に於ても、種々の論有れども、山城に籠り嶮岨を固めとすれば、一夫之を守りて萬夫も進み{〓}きの徳有れ共、兵糧運送の{〓}きと、水道を断切らるの患有り。平城は是等のなやみなしと雖も、四方に敵{〓}るの損有りて、何れも深き心得の有りぬる事なり。「山に寄り山によらず、水に寄り水に寄らず」といへるにも、味ある事なり。心してよし。貴札拜見仕候。秋冷に相成候処、御家内樣御揃彌{〓}御壯健被成御凌、珍重之御儀に奉存候。然者、先頃此許大変に付、早速爲御見舞御紙上被下、被爲入御念候儀、忝次第に奉存候。誠に前代未聞之儀にて、何も仰夫仕候得共、親類中無{〓}にて、大慶仕候。其後兎角少々宛の儀日々四五度も有之候処、先一昨日頃よりは相鎭り申候。此段御安心可被成下候。私儀も地震前{〓}腹工合悪敷く、漸々両三日以前{〓}快気仕候。夫故御礼答も大延引、此段御有免可被成下候。右御挨拶、乍延引如斯に御座候。恐惶謹言。八月十二日梶村昌次一筆啓上仕候。追々秋冷彌増候処、御全家被爲揃益卿安康可被成御凌、珍重の御儀に奉存候。隨て黄{〓}国在番中は、不相変数々預御紙上、辱仕合に奉存候。御蔭にて詰中無滞相仕廻引取申候。其砌は船中と覚悟究置候処、参候家來両人共船甚不得手、併し衆評{〓}黙止旨相聞、其上地震之年柄、同役家内{〓}も直ヒたと差留越し、私事も二月頃{〓}持病之李痛甚敷く、駕籠にゆられ候も{〓}渋故、片上{〓}成り共と存候得共、儲方{〓}申越、無據陸地引取る都合に仕、夫故御館へ御尋申上候事も出來不申、近頃残念至極に奉存候。おはつ様へも宜敷く御断被仰上可被下候。先達ても珍敷卸作拜見、絶感慨申候。地震も備中はゆり不申、先は京都・亀山が強き事と被存候。併し城中・家中先無{〓}、委敷事は只右{〓}御承知同行カ被下候事と被存候間、不申上候。僕事も右駕{〓}に被当、呼吸塞迫、十間許り歩行仕候事も苦しみ、五七日は押して罷在、無據引籠保養仕候。御存之通、少し宛の食事も望なく、肝癪計に肥え申候。深見謙藏と申す医{師}に掛り、段々療用仕、此節は先づ快方に向候。一旦は大差込参り体弱り、迚もと存じ、辞世迄仕候事、どうやらこうやら反古と相成候様にて、失面目候。併し先々右体故御安心可被下候。小子耳のタブ後へ廻るに付、貪相と被仰笑候事有之。此度備中{〓}亀山へ、「大地震夢にも知らぬ因果者みヽのたぶをや何とみるらん。」備中へ三度詰に参りしが、あげくには笠岡と云処にて・論出来る、まかるとて、「旅の世にまた旅に來て旅に行くこれや三度の印なるらん。」大地震の川柳伝へては、「此上は奈良へ遷座の思召。」「あめつちの動く名歌は御感なし。」「阪元はなんとがよかろと公家評議。」亀山にかへりて松茸の少き事を聞き、「松茸が閉門するや大地震。」辞世のいれ荷のをかしければ「死る迄いれのくるこそ気疎けれじせい僞せとも成るもをかしき。」実に此節は快方にて、執筆右之次第、乍憚御安意可被下候。おはつ様御案被下間敷、被仰上可被下候。足下御戲書誠に以て奇々妙々、奉感吟候。尚珍敷事も候はゞ、爲御聞可被下候。右は何か御礼、時候御安否相伺旁{〓}如此に御座候。恐々頓首。菊月十五日和田平右ヱ門七月二日京都の地震と同時に、肥後国阿蘇山崩れ、人家・田畑悉く潰れ、人を損ずる事挙げて数へ{〓}く、阿蘇の一郡大いに荒果てゝ、此崩れぬる勢に、海辺は大津浪にて、人も家も悉く流れ亡せしと云ふ。こは江戸堀木屋一郎右衛門が咄にて、則ち同人が親類の船も、彼地に居合せ、此大{〓}に遇ひて、其船みぢんに碎けしと云ふ。斯かる大変の始未は、其後同もなく肥後の屋敷へ國元より出役せし役人有りて、これも船中にて{〓}風に遇ひ覆らんとせし故、大に困窮す、程なく主用も済みぬれ共、かヽる有様なれば、国元へかへる事を案じぬるとて、委しく語りしと云ふ。外役人の船一艘覆りしが、これは水練達者なる故、海上を泳ぎて命助りしと云ふ。〔頭註〕阿蘇一郡大に荒れしと云ひしかども、是は格別の事にて無かりしと云へり。同五日、六日・八日・九日、防、長・藝の國々大風雨にて・船多く碎けて、大騷動せしと云ふ。浪華にては、九日午刻過より時々少雨降りしのみにて、只京都の響折々こたへ、少々づつの地震有るのみなりしが、此日彼地は別きて大雨にて、雨の大きさ茶碗の如く、風甚しくして・予が知れる人の乗りし船も打破れしが、幸にして助かり歸りぬる者など有りて、恐しき事共なり。同二日、雲、伯・因、備の前州近来の大地震なりと云ふ。されども何も損ぜし処なしと云ふ。これも京と同じく申の刻のよし。大抵咄を聞くに、浪華と同様のゆりと思はる。又備前・播州等は十八日洪水なりと云ふ。〔頭書〕かくの如く諸国地震甚しき事なるに、作州は其中に在る国なるに、実に聊かの事にして、今のびり/\とせしは地震にてはなかりしやと、疑はしき程の事にて、是を知らぬ人多しと云ふ。
出典 増訂大日本地震史料 第3巻
ページ 354
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
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