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項目 内容
ID J0300723
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1823/99/99
和暦 文政六年
綱文 文政六年(西暦一八二三、)八月初旬ヨリ翌年三月ニ至ルマデ岩手山附近地屢々震ヒ、就中九月二十日ノ地震ハ最モ強ク、家屋土藏倒潰シ、壓死者ヲ生セリ、
書名 *〔奥羽西部ノ地震帯〕○今村明恒著
本文
[未校訂]家屋ト云フ家屋ノ大概ハ破壊シ地面ハ割レ村内○巖手〓寺田村
ヲ貫流スル寺田川ノ上流ハ堤防崩レタルガ一大堤ヲ
作リ、何日如何ナル時大洪水ノ襲來スルヤモ知ルベ
カラザレバ、村民ハ安眠スル能ハズ、〓〓野ト稱ス
ル野原ニ各自戸板等ヲ携帯シテ假リノ宿リヲ営イタ
リト云フ、
一、日ノ震動回数ハ五六十回ヲ数ヘリ、當村○寺田村内ニ
死者十二名(疑ハシ)ヲ出セリ、多クハ地ノ割レ目
ニ陥リタルモノナル由傳フ、七時兩山ノ割レ崩レハ
事實ニシテ現ニ向山ノ最高峰ノ南方ニ面セル處凡ソ
一段歩程赤ク禿ゲ居リ草木ヲ生セザル處アリ、是レ
當時崩レタルモノナリト傳フ、
文政六年ノ震災ニ於テ巖手山ノ鳴動ハ口碑ニ傳ハラ
ズ、唯七時兩山ハ大鳴動ヲナシ凄惨ヲ極メタル由言
ヒ傳フ、
出典 増訂大日本地震史料 第3巻
ページ 242
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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