[未校訂]文政四年十一月十九日朝五ツ半とおぼしき頃、俄に
大地震鳴動して、○中略赤岩山袴越山缺け損じ、鳴動
の爲徒後に磐石大木の崩るゝ音大雷に均しく、○中略又
其夜大雨となり、俄にかけし小屋々はれば、雨は漏
り、地震終夜不止、赤岩袴腰の崩るゝ響を交へ、肝
を消し魂を飛ばし、誠に古今有間敷次第なり、翌日
に至も五七度づゝは並ならぬ鳴動毎日不絶、○中略今
日○十二月始めに至る迄一度は鳴り一度は震り、或は一同に
鳴動し、尤鳴り音御村中にて聞及候方角大凡沼の方
と諸人言触れ、マタ沼沢にて間候には、一度は沼の方
一度は高森山或は東西と変化し、袴腰山沼嶽山、山
すれ岩さけて沼へ崩れ込み、石砂大木崩るゝ音大雷
に等しく、前後を忘れ候心地、されど手丈に及ばざ
る大変にて、○中略古今に無之地震も大石組に限り候様
にて、○下略
(武者註)右へ岩代國大沼郡沼沢村名主佐藤充〓ノ手
記ニシテ、満山長左ヱ門氏ガ其ノ要点ヲ写サシタ
ルモノナリ、全文ヲ録シ得サリシハ如何ナリ、