[未校訂]同國○佐度羽茂郡、小木の湊は、此國第一の大湊にし
て、船客遊君四時の繁華、依稀する岐もなかりける、
しかるに享和三年癸亥十一月十五日の事なりしが、
降しきる雪に、人みな衣をかさね頭の鬚をそらして
居けるに、沖のかたより、荐に地震鳴動して、淙渢
ほてることすさまじく、暫時に干潟となり、天地も
くづるゝかと、人みな魂をうしなひ、通憂ともいふ
ひまなく、〓騒あへり、そが中に、あたりの端家よ
り火出て、條にひろがり、おもふまゝに魔淡すれど
も、周章て不管、老體たるものを見捨、嬰児を逆に
抱きて走り、岩の〓に隠れ、あるひは跳♠地轉♠天、日
ごろ貯へたる七珍萬寶も何にかせん、命あればと足
はやみし、〓山に逃るもあり、さるほどに、震彌増
につのり、今や津浪もくべきやと憂慮して、活るも
死せるも見もやらず、棟落て死するもあり、煙にむ
せびて死するもあり、其數をしらず、かくて山寄に
迷ひしもの、飢につかれ、寒氣にとぢられ、あたり
ちかき小比山に便り、歎くにこの寺も諸堂斜み、も
はや法滅のときにやと、衆僧□きあへり、かくある
うちに〓〓れ庭中佛となるに、院主恵教こゝろえて、
門前に寄寓をしつらひ、こゝに集る數百人のものを
慰み、寺領の収米を開藏して、酒飯〓をほどこし、
幾の机を助けたまふ、その外、樋地山の百姓をして人
歩を出し、公用の人馬の勞を補ひ、草鞋を施し、三
日三夜の飢難をすくひ給ふゆゑに、公儀の御感に預
りたまへり、さて小木の津、三日にして漸くしづま
りしを見るに、町替り海ひあがり、地上七八尺ばか
り躋りて、更にもとの㒵はあらざりけり、其外、岩
列連木稍殺てあらぬところに、困潰出おそろしかり
し天災なり、彼長明が方𠀋の記にも、世にたぐひあ
りしためしを書置たりければ、都雛をいはざるうき
よの還迹、炭面にしていふもおろかにこそ侍れ、