[未校訂]又地震に徴ある事、現在見し所○中略、全文ハ天保元年七月二日條ニ汝メタリ、横
島氏日譚に、享和三(二ヵ)年十一月、諸用有て、佐渡の國
小木と云湊に滞留せしは、同十五日の朝よりしが、
同宿の船が〻りせし船頭と共に、日和を見んとて、
近邊なるべし、丘へ出しに、船頭の曰く、今日の天
氣は誠に怪しげ也、四方榮々として雲、山の腰にた
れ、山半腹より上は峰あらはれたり、雨とも見えず、
風になるとも覺えす、我れ年来の如此天氣を見ずと、
大にあやしむ、此時、廣島氏曰、是は雲のたる〻に
あらず、地氣の上升(昇)するならむ、予幼年の時父に聞
る事有、如此は地震の徴也と、片時も猶豫有べから
ずと、急ぎ旅宿の(にヵ)の歸り、主に其由を告、此地稜は山、
前は海にして甚危し、又來るとも、暫時外にのがれ
んと、人をして荷物など先へ送らせ、そこ/\に支
度して立出ぬ、道の程四里許も来らんとおもひしが、
山中にて果して大地震せり、地は浪のうつごとく揺
て、大木など枝みな地に折ふしまうび、漸にのがれ
て去りぬ、この時小木の湊は山崩、堂塔は倒れ、潮
□て舎屋皆海に入、大なる嚴満ゟ涌出したり、夫よ
り毎日小動して、翌年六月に漸々止りたりとなん、
其後同國金山にいたりし時、去る地震には、定て穴
も潰れ、人も損ぜしにやと問しに、さわなく、皆云、
此地、むかしゟ地震は以前にしりぬ、去る地震も、
三日以前に其徴を知りて皆穴に不入用意せし故、一
人も怪我なしと也、其徴はいかいして知る哉と問し
に、地震せんとする前は、穴の中地氣上升して、傍
なる人もだがひに腰より上は唯濛々として不見、是
を地震の徴とすと云へり○下略、