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項目 内容
ID J0300282
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1801/08/10
和暦 享和元年七月二日
綱文 享和元年七月二日(西暦一八〇一、八、一〇、)鳥海山東側斜面ナル瑠璃、ノ壷ト稱スル所ヨリ噴火シ、遂ニ一火山丘ヲ生ズ、享和嶽コレナリ、
書名 *〔大泉叢誌〕
本文
[未校訂]享和元年辛酉鳥海山硫黄焼之次第
二月十二日夜五ツ時東の方に當て奇異の震動有之、
天より鳥海山煙立候而相見候得共、雲か煙かさなか
に相分不申焼候共、左のみ難決色々風説ニ御座候、
それより次第ニ雪消相見候付、三月十二日登山一見
仕候處奇休之大變に御座候、則圖入御覧候、小瀧村
に傳來候記録を見申處、當年にて六ヶ度ニ御座候燒
候年毎に悪水涌出下村郷里百姓共申候ニハ先年のや
うに悪水ニも相成候てハ御田地並牛馬呑水に至まて
水毒甚敷物のよし申聞候
乍恐書付申上候
先月中旬頃より鳥海山煙氣立候趣、麓村にて見受候
由風聞有之ニ付一山の者心を付度々見聞仕候得共、
山上大雪にて登山難成、當月ニ至リ候而も折々雪降
登山仕兼候、然處一昨八日より快晴に付強力の者四
五人爲指登見せ申候處、荒神嶽の邊七八ヶ處煙立御
本社並長床等も燒失候哉相見不申候由、煙氣盛に立
登近所へ立寄難く、業者嶽と申處にて遠見仕罷歸候
由申聞候、此後何程燒廣かり候も難斗奉存候、此段
注進申上候、猶相變候も御座候ハヽ追而可申上候以
上、
酉三月十日 鳥海山學頭
龍頭寺
役僧
玉泉坊

般若坊
寺社御奉行所
先月中御注連申上候鳥海山煙氣立、折々見届ニ爲登
候得共、煙氣盛にて近寄兼遠見斗致居候、漸此間ニ
至煙氣も薄らぎ衆徒の内𠀋夫成る者四五人罷登見聞
仕候間御注連申上候、七高山下より燒始候歟、荒神
嶽仕地燒候、仁賀保小瀧駈郷之方燒通谷に相成、御
本社ハ飛候哉、又は燒失候哉相見不申候、長床は二
軒共燒穴より吹出候土石にて埋まり申候、先頃迄七
八ヶ處煙立候之處、當時一ヶ處に相成申候、此間見
分之處別紙繪圖いたし奉入貴覧候、尚相替候儀も御
座候ハヾ追々可申上候以上、
酉四月五日 鳥海山學頭
龍頭寺
役僧
玉泉坊

般若坊
惣衆徒
寺社御奉行所
坂尾宗吾○大泉叢誌著者六十二以前元文五庚申年山上燒候
せつ、三代實録十九巻の寫を添寺社方へ御注連申上
候扣、大庄屋阿部善太夫役所ニ有之、今度御郡奉行
へ指出候由、
山燒の事遊佐郷などにては、當二月中初て聞及候付、
仙北邊の咄を承候に最初燒初候ハ、去十一月頃より
と也、當年の山燒は山裏にて遊佐郷にても様子見へ
ず、鳴動も聞不申由、女鹿小砂川邊ニ至りてハ、其
日風合ニより折々鳴動聞へたる由、何ほと所々燒候
ても山の欠け崩れ候事ニハ無之、先年の燒のことく
燒穴斗り明候事に可有之となり、荒瀬郷舛田川の下
福山村川筋の者の咄しニ雨後水氣の有節は燒灰流れ
硫黄の匂ひありと川水のみ悪しきとぞ、
去年中願申上候行者嶽と申所に造立仕候鳥海山御本
社並作事小屋共に當十三日煙氣のため燒失仕候次第
左ニ申進候、其日晝四ツ時頃伏置候大桶杵之類を以
打候ごとくどん/\と二三度鳴とひとしく瑠璃邊よ
り其黒煙氣是迄見かけ不申程甚敷立登り如何いたし
候事やらんと見居候内、山上北風と見へ、此方前山
へ黒煙吹掛候ニ付、人々恐しく肝を潰し見居候事ニ
御座候、其節山上にてハ火玉吹出し嶺松の類一面ニ
吹上罷飛候由、山上勤番の衆徒も川原宿小屋、逃去
候處小屋番の者一人も不居合皆々下へ逃下り候由、
尤筋坂は吹上泥にて一尺余苗代の中を漕ぎ候やうに
相成候、其節山上鳴動其上水呑と申邊迄真闇に相成
り灰降候而山稼の若者共人馬共に大ニ驚キ肥草打捨空
馬ニシテ這々逃歸候事ニ相聞候、元文五申年燒候節
ハヶ様の變事不承事ニ御座候、右ニ付寺社方へも御
注進申候得共、右之趣も被仰上可被下候以上、
七月十五日○享和二年阿部善太夫
小野伊太夫様
斎藤銀四郎様
出典 増訂大日本地震史料 第3巻
ページ 140
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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