[未校訂]平安東山の將軍塚は國家鎮護のため土偶に甲冑をか
ふむらしめて埋給へることは世のしる所なり、纔に
も變あれば必鳴動すること世々たがはず、予幼き時
は地震にもあらでこだまのごどくきこふるをおぼえ
ぬ、三條街のものなればなり、其後近江に住ミ又洛
南に閑居せれば聞わすれたる歟今は心もつかず、然
るに老禅〓芳和尚の話に過し天明六年午のとし四五
月の比より鳴動す、其音甚あやしといふ人ありしが、
九月六日の夜丑二ツ刻斗聞つけたり、如鼓聲四段に鳴
て以上十ニ聲なりし、其夜三條橋大水にて損したれ
ども、かゝるひろ〴〵しき事の故にはあらじ、同八
の年平安大火の難もならん、百錬抄に平家都落の時
將軍塚鳴如鼓と見えたるにあへり、世の大要といふ
時はかゝる成べし、凡天變地妖天下の安危をあらか
じめしめし給へども、人の心つかぬなりとぞ、