[未校訂]天明三年癸卯七月朔日より八九日に至て、北國、東國、及京都、大坂、江都、伏見、大津辺、山谷鳴動して、殿閣神社堂塔夥敷震動す、諸人膽を消し安堵の思をなすことなし、此時〓〓〓申〓〓〓〓〓〓〓往來の商船多漂没なり、同五日辰刻上州信州の大地俄に震動して大雷の如し、沙石降下ること宛も火雨に似たり、六日の夜に成て殊に甚しく、七日八日晝闇夜の如くにして〓尺を分たず、人畏東西に迷ひ、
南北に奔る、岩石を空中に飛し、熱灰を降すこと夕立の軒端を過る雨よりも須し、此時信州淺間嶽草津山等同様に燃出し、猛火散乱して天に騰り、八日未刻に至て熱沙熱泥を吹出し、山腹裂崩して熱湯涌出し利根川の水上に〓溢して、大越一面に漲流して、近國の諸村を築没し、山林樹木を押折し、民家と破倒す、人民及牛馬、鳥獸、魚〓類悉く燒爛して死亡せり、足を泥中に埋沒して〓死する者四万餘人ありとなる、六日、七日より九日に及て江戸中天曇て日光を見ず、白灰降ること雪の如し、人家及山林樹木皆白し、晝夜大地鳴動すること数十度、民家、雨戸、障子類皆震動し、此時横死せる老若男女の亡靈、毎夜利根川の水辺に現れ、親は子を尋ねて啼き、子は親に離て叫ぶ聲哀れなりし形勢なりしが、貴僧名僧集會し、念佛、唱題、誦經、陀〓尼種々の廻向をなしければ、亡魂も忽に離苦得樂の觧脱を得しにや、自ら怪異も止んで天涯望郷の鬼哭の聲と聞えしも、松風颯々の聲に和して跡白浪とぞ成にけり、予が領地武州埼玉郡南大桑村に有て上州と鄰境たり、彼地の村老〓〓〓物語を聞て爰に記す、予が十六歳の時にして、今文化九年に至り四十四年なり、