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項目 内容
ID J0201586
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/10
和暦 寛延四年四月十五日
綱文 寳暦元年四月二十五日(西暦一七五一、五、一〇、)越後國地大ニ震ヒ、頸城郡被害最モ夥シ、高田城破損シ、桑取谷ニハ山崩ヲ生ジ、一時桑取川ヲ閉塞セリ、高田領全般ニ於ケル全潰及ビ燒失民家ハ六千八十八戸、死者千百二十八人、震災地ヲ通ジテノ死者ハ二千人ニ達セリ、
書名 〔政隣記〕
本文
[未校訂]四月廿五日夜強地震、其後度々軽き地震有之、越後高田辺、名立辺は大地震、山潰れ家潰死人多、依之下海道往來止、町飛脚其外御家中之人々江戸往來も中仙道に成、同年十月より如元下通りに相成、先頃出府之田辺半五兵衛等茂立帰候面、木曽路より罷越候に付、末百五十日分御扶持方代拜借、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 389
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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