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項目 内容
ID J0201582
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/10
和暦 寛延四年四月十五日
綱文 寳暦元年四月二十五日(西暦一七五一、五、一〇、)越後國地大ニ震ヒ、頸城郡被害最モ夥シ、高田城破損シ、桑取谷ニハ山崩ヲ生ジ、一時桑取川ヲ閉塞セリ、高田領全般ニ於ケル全潰及ビ燒失民家ハ六千八十八戸、死者千百二十八人、震災地ヲ通ジテノ死者ハ二千人ニ達セリ、
書名 〔瀧川氏記録〕
本文
[未校訂]宝暦元年○中略大地震起り、平、植村より東側鷲尾高倉辺は殊に甚しく、山々一時に抜け崩れ人家を潰し人馬の死夥しく、○中略名立村は小田島、平谷、東蒲生田附近山崩れありて名立川を堰き止め湛水海の如く、小田島にては全村破壞し死亡三十八人負傷者少からず、平谷村は全潰半潰にて破損を受けざるもの更になし、寺二箇所埋沒せり、東蒲生田、池田にても山崩れあり、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 388
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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