[未校訂]飛脚之者小田原より江戸迄之内道中見及申越、一小田原城下より一里江戸ノ方、領分小幡村と申所より梅沢と申所迄、一里程之内、大砂利中砂利ほどの石ちり/\と降申候一梅沢より大磯迄貳り程之内、右大キ(マヽ)之石二三寸、所により四寸程降積申候、一大磯より戸塚迄六り程之内は、小砂利程之石三四寸程降積申候、一川崎より江戸迄四里半程之内右之通成砂、地隱れ申候ほど降積申候、江戸之方へ奇候程薄く相みへ申候一家居有之所は、鍬にて砂利をかき除申候、
右之通飛脚之者見及之由申候
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項目 | 内容 |
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ID | J0200497 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/12/16 |
和暦 | 宝永四年十一月二十三日 |
綱文 | 宝永四年十一月二十三日(西暦一七〇七、一二、一六、)富士山爆発ス二十二日ヨリ地震ヲ頻発シタルガ、二十三日ニ至リ、東南山腹ヨリ大爆発ヲナシ、夥シキ灰砂ヲ噴出シ、相模、武藏等ハ降灰ノ害ヲ蒙ルコト甚シ、爾後時々地震及ビ降灰砂アリ、噴出ノ全ク止ミタルハ十二月八日ナリ、 |
書名 | 〔富士山自燒記〕 |
本文 |
[未校訂]飛脚之者小田原より江戸迄之内道中見及申越、一小田原城下より一里江戸ノ方、領分小幡村と申所より梅沢と申所迄、一里程之内、大砂利中砂利ほどの石ちり/\と降申候一梅沢より大磯迄貳り程之内、右大キ(マヽ)之石二三寸、所により四寸程降積申候、一大磯より戸塚迄六り程之内は、小砂利程之石三四寸程降積申候、一川崎より江戸迄四里半程之内右之通成砂、地隱れ申候ほど降積申候、江戸之方へ奇候程薄く相みへ申候一家居有之所は、鍬にて砂利をかき除申候、
右之通飛脚之者見及之由申候 |
出典 | 増訂大日本地震史料 第2巻 |
ページ | 234 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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