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項目 内容
ID J0200489
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/12/16
和暦 宝永四年十一月二十三日
綱文 宝永四年十一月二十三日(西暦一七〇七、一二、一六、)富士山爆発ス二十二日ヨリ地震ヲ頻発シタルガ、二十三日ニ至リ、東南山腹ヨリ大爆発ヲナシ、夥シキ灰砂ヲ噴出シ、相模、武藏等ハ降灰ノ害ヲ蒙ルコト甚シ、爾後時々地震及ビ降灰砂アリ、噴出ノ全ク止ミタルハ十二月八日ナリ、
書名 〔さたなし草〕
本文
[未校訂]○六月廿九日、曇り、折々雨ふり、当年は時節より凉しく、今日晝前四ツ時ごろ、丑寅の方に当り、雷のごとく、又地震のごとく、暫の内鳴りつよくひゞきいたし、人々不審を立候、何方にも聞へ候由、前日は大雨風も有之候、○七月朔日、曇り、雲もさわぎ申候、夕方また/\昨日の通り、○七月二日、雲さわぎ、殊之外凉しく、今夕方又々北東之方鳴ひゞき、戸障子もあうち候、暫有之相やみ、雷鳴も相聞へず、一昨日より鳴ひゞきつよく候、○七月三日、天気冝、凉しく、少し鳴も有之候、○同四日、天気よく、今日は鳴も聞へず、○同五日、天気冝、今日少し暑気つよき方にて、今夜中九ツ前北東之方鳴動いたし、九ツ過つよく鳴動き、暫之内鳴て相止み、○同六日、天気よく、暑気つよし、今夕より東北鳴動つよくいたし、五ツ頃迄つよく鳴りつゞき、四ツ時頃より少し鳴相止み候処、同夜半頃よりは、至てつよく鳴動いたしつゞき、人々さわぎ立、いろ/\さたいたし候共、何故と云事不相知、名古屋近在近国何方も鳴同様、京都へも聞へ候所も、去二十九日以来同様之由、夜前より至てつよく鳴つゞき、人々驚きさわぎ、七夕出仕も表出仕も無之、評判のみ、先頃より当年浅間山常よりつよく燒候由、木曽路登之方はなし候へば、浅間山いよ/\大燒に成候事哉とも申、北海鳴ひゞきいたすにやとも申、此日空も隨分おだやかに替る事なく候へ共、鳴動の音安心ならずと、夜に至てます/\鳴動つよく、町々も起居申候、武家にてもさわぎ終夜寐ず、今日御中間方へ仰付られ、東北の方へはや立の者被遣候由、北東の方あかるく見へ候方も有之候由、○七月八日、天気能、夜前より終夜至てつよく鳴動、今朝いよ/\鳴りつゞき、朝四ツ比、寔に遠方の鳴とは不存候くらひに鳴り、大雷のごとく、夫より程なく鳴りおさまり、晝後靜に相成、人々安堵いたし候、然共時々少し鳴候様子、夜に入候ても少しは鳴候得共、永くは鳴不申候、さしたることも無之候、一昨夜より今晝前迄たへまなく鳴つづき、次第につよく鳴動、九ツ前より靜に相成、今日風聞に、信州浅間山北べり燒候由、山村甚之烝より注進、千賀與八郎へ委しく申來候由
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 227
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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