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項目 内容
ID J0200481
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/12/16
和暦 宝永四年十一月二十三日
綱文 宝永四年十一月二十三日(西暦一七〇七、一二、一六、)富士山爆発ス二十二日ヨリ地震ヲ頻発シタルガ、二十三日ニ至リ、東南山腹ヨリ大爆発ヲナシ、夥シキ灰砂ヲ噴出シ、相模、武藏等ハ降灰ノ害ヲ蒙ルコト甚シ、爾後時々地震及ビ降灰砂アリ、噴出ノ全ク止ミタルハ十二月八日ナリ、
書名 〔玉川参登鯉傳〕
本文
[未校訂]十一年享保丙午、相模国酒匂川の浚ひ、堤修築の事を承り、其堤成て則文命堤と名づく、此川むかし宝永三亥の冬、富士の山燒有しより、砂石を押入て水理停滯し、生民数年、地の利を失ひしにより、此度喜古をして其地理を檢し、水路を修せしめらる。然して大功速に成しかバ、喜古請て其傍堤に夏島王の廊祠を営み且東西二碑を建て事の始末を録す、
出典 増訂大日本地震史料 第2巻
ページ 226
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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