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項目 内容
ID J0100762
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1662/06/16
和暦 寛文二年五月一日
綱文 寛文二年五月一日(西暦一六六二、六、一六、)山城・大和・河内・和泉・攝津・丹津・若狹・近江・美濃・伊勢・駿河・三河・信濃等ノ諸國地大ニ震ヒ、人畜屋舍ノ被害夥シ、彦根・膳所・水口・淀・伏見・尼ケ崎・高槻・岸和田・亀山・篠山・小濱・桑名等ノ諸城破損セリ、近江比良嶽附近ハ震害特ニ甚シク、滋賀・唐崎ニテ潰家千五百七十戸ヲ生ゼリ、朽木谷附近ニハ山崩ヲ生ジ、谷ヲ埋メテ丘トナセリ、京中ノ潰家ハ約一千、死者二百、其他ノ死者六百ニ達ス、津輕モ地震強シ、
書名 〔糟粕手簡〕
本文
[未校訂]寛文二年寅五月一日、午の刻大地震す、京郡伏見在々所々、大過敷オビタヾシキ事也、八幡の内も大地をゆりわり、くろき土水をはき出す、井戸〓もゆりうめたり、其後ほれとも水不湧と也、諸人驚立出る、足ふみ立る事不能して、ころびたほれける、餘りにつよくゆりしけるに依て、座中の脇にありし藥マヽ壷のいへを持よりて、父母の御傍に置、只三人座中に居、かべなどゆり落し、ぬきなどもねぢ切たれ共、家は堅固也、天道の御功力と難有し、八幡中何程か〓じけたる家も藏も多し、淀の城内大過數文破す、石垣も三百間餘くづれたり、江州邊は一入つよく、膳所の城内は天主のみのこり、矢藏等は悉く崩たり、二條御城も破損す、大坂は堅固也、方々諸社の鳥井(居)石燈籠、悉たおれたり、愛宕山の坊中、不殘谷へこけ、□□權現の御社は少もそこねず、八幡山へ秀孝其日地震の後參宮し奉りて見るに、石燈籠等は悉くころび碎けたるに、御宮御がまへの内の分は、少も地震せずと也、神馬は其日見へずして、暫ありてあせをかき馳歸りしを、別當尋合て、御馬屋に入ける、伊勢の大神宮の神馬も、三日不見して、三日めに土にまぶれて歸しと也、朔日より毎日夜、少ヅヽひたもの地震す、大地震の後は、かつは五日十日もゆり不止と古より言傳、地震治の御製とて、朔日禁中より洛中へ被下、門柱におす御歌、むねハ八ツ門ハ九ツ戸ハ一ツ、身ハいざなきの内にこそすめ、又守りの御歌とて、諸人書ておしける御歌、天てるや大神宮の誓にて、治むる御世ぞめてたかかりけり(るカ)、石清水八幡宮の誓にて、民安穩ぞめでたかりけり(るカ)、
出典 増訂大日本地震史料 第1巻
ページ 827
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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