西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
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ID | J00006999 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1605/01/31 |
和暦 | 慶長九年十二月十三日 |
綱文 | 慶長九年十二月十六日(西暦 1605,1,31) |
書名 | 〔当代記〕○史料雑纂 |
本文 |
同十六日戌刻、丑寅ノ方に魂打三度、同地震、其夜自関東上者、今切之東舞坂に宿、右之魂打と聞へけれは、俄に大波来て、橋本に家百間程有所に、八十間計潮引て行、纔に十間計残ける、人多死、折節舟に乗合ける者は、荷物をはね、舟は山際へ打上ける、其時釣に出ける舟廿艘計、行末不知、此時伊勢国浦々潮数町干たりける事一時計也、漁人共魚鮑巳下心の侭に取所に、潮俄に来て、大石共浦々へ打上ける間、生て帰者なし、其内に年老之者は如何様不審に思、急陸へ上者は少々生て帰も有ける、右の波の打上ける石共ニ、蛇巳下或は五十或は卅有ける、島々に人屋、又兵糧の蔵以下船網、無残所潮に流行、行衛不知、関東も此波同前云々、二百四十四年先、康安元年辛丑七月廿四日、摂州難波浦に如斯之儀有ける由、太平記に在之、右之大波之比、伊勢山田岡本町七百間余焼失、人馬多死、依之暫神前之社参を被留、紀伊国四国西国何も此波同前、地震は所により大小あり、関東も同前、上総国小喜田領海辺取分大波来て、人馬数百死、中にも七村跡なしと云々、諸国内の海は不苦、摂州兵庫の浦は一円不苦、是は先年丙申の地震、他所に超過しける故かと、所の者申候、
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出典 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベース |
ページ | |
備考 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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