Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J00006799
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 文禄五年閏七月十三日(西暦 1596,9,5)
書名 〔勘仲記〕
本文
『大和名勝志』の「般若寺十三重石塔図」(挿図61)には上二重と相輪が落ちて基壇上に置かれた状況を画き「慶長元年、丙、申、閏七月十二日墜落ス」と書込む。寺蔵「日記」の元禄十三年修理時の南都奉行所へ差出した「覚」にも第十三・第十二重の納入品について「以上ノ宝物者慶長元年七月十二日地震ニ墜落。自其以来経蔵ニ入置候」と記す(『大和名勝志』にもこの「覚」が見える)。前掲『南都般若寺勧化帳』にも、「爰に慶長元年七月十二日の大地震に件の石塔九輪并上の二重地に落侍り夫よりこのかた代々の住侶是をかなしふといへともいまた一簣の功をはじめず」と見える。
〔十三重石塔納入品〕○『大和古寺大観』三
一 元禄修理に際し南都奉行所へ差出した「覚」は、元禄十二年十一月九日から同十三年九月十日に至る石塔の修理に関する日記の、同十三年五月二十六日の条に見える。また『大和名勝志』にも記載されている。明治については『般若寺宝塔出現霊仏奉納目録写』(明治三年)がある。
「覚」
南都般若寺十三重石之塔者聖武天皇御建立也。自往古般若池ノ傍ニ在霊石置第二級ニ。欠石眉令不混余級ニ也。塔之高サ五丈台基三丈八尺。或舎利梵経金仏等収蔵有之。上皇於此ノ霊地ノ下ニ#(ウツム)紺紙金字ノ大般若経ヲ云云。仍号般若寺ト。
石ノ之塔ヨリ所ノ出スル宝物品々覚
一。第十三重目舎利殿一基内ニ仏舎利、大 五 粒、小三十八粒、大小合四十三粒。右ハ第十三重目ニ収蔵在之所也。慶長元年七月十二日地震墜落。自其己来経蔵ニ入置候。
一。第十二重目。細字法華経 八巻。同 梵網経 上下巻。同 無上大乗無量義経 一巻。同 観普賢菩薩行法経 一巻。惣合拾二巻一箱ニ在之。一。第十二重目。唐本法花経 全部一巻箱入。以上ノ宝物者慶長元年七月十二日地震ニ墜落。自其以来経蔵ニ入置候。
一。第十重目。紺紙金字ノ経巻 水精ノ軸一。同 金ノ軸一。同 木ノ軸一。同 竹ノ軸ハ朽申候。以上ノ経紙等皆朽申候。一。琥珀ノ玉六分四方内ニ仏舎利二十粒余。外ノ殿器ハ朽候故無御座候。右此第十一重目ノ石過半破故。第十重目ノ蓋石ハ二ツニ破候ニ付。年々水入リ申候。辰ノ五月十六日二三重ノ石地江下シ申候。
一。第四重目。閻浮檀金阿弥陀如来 一躯。御長ケ髪際ヨリ御足マテ八寸五分。頂上ヨリ惣御長ケ九寸五分。同八角台基高サ四寸指渡シ五寸八分。一。同十一面観音像 一躯。御長ケ一寸八分程。一。唐本ノ法華経 全部一巻箱入。以上第四重目ヨリ出申候。辰ノ五月十九日ニ此四重地江下シ申候。
一。石之塔廿部壱ノ図 一枚差上候。
(中略)
元禄十三年辰五月廿三日 妙光院高#
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

検索時間: 0.005秒