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項目 内容
ID J00006772
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 文禄五年閏七月十三日(西暦 1596,9,5)
書名 〔図録 家康の書と遺品展〕S58秋 徳川黎明会
本文
候へく候 返々、何事
なく候まゝ、御心
安おほしめし
大ちしんにより
御ふみ給候、御うれしく
見まいらせ候
おやこ何事も候はす候
まゝ御心安おほし
めし候へく候
やかてくたり
まいらせ候へく候まゝ
御けんさんにて
申まいらせ候へく候
かしく
御屋しき内府
返事
追加 徳川秀忠夫人浅井氏に送った消息
(慶長元年閏七月下旬)一巻
三一・六×九四・九 徳川恒孝氏所蔵
この展覧会開催の六日前に発見された新史料である。
慶長元年閏七月十二日夜子刻、畿内に大地震が起こった。世に云ふ伏見の大地震である。江戸でその報らせを受けた秀忠夫人(浅井氏)於江の方は、早速、見舞の文を家康に送ったと思はれる。この消息はその文に対する返書である。
文中にある「おやこ」とは家康・秀忠父子、宛所の「おやしき」とは於江の方、「内府」とは、同年五月八日に正二位内大臣に昇進してゐた家康の自称である。
秀忠と於江の方は、この前年の文禄四年九月十七日に、秀吉の媒介によって結婚してゐるから、まだ新婚後一年に満たぬ若夫婦である。嫁女からの見舞の文に礼を述べ、自分も息子も無事だから安心する様に、やがて江戸に下ったとき、お目にかかってお話ししませうと云った文意には、於江の方に対する細やかな心づかひが感じられる。この約一ケ月後の九月五日、家康は伏見を出立して江戸への帰途につく。
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
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備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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