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項目 内容
ID J00006365
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 文禄五年閏七月十三日(西暦 1596,9,5)
書名 〔李朝実録〕○丙申十二月癸末ノ条
本文
上○朝鮮国、王宣宗、曰、関白在五沙浦受封乎、爾等及両冊使皆在沙浦乎、慎曰、山城州、日所、所、距五沙浦六七里矣、時地震尤甚、都邑#毀、故出五沙浦待之○中、略、
上曰、地震之説是乎、慎曰、臣未及日本、八月大地震、崩傾沙浦五沙浦山城州楼観云、上曰、爾所目見亦有地震之跡耶、慎曰、兵庫、地、名、間原陵自陥仍為沮沢、豊後、地、名、地方有人家四五千、皆没於地震、只余高丘樹梢処処出没矣、上曰、家居皆陥云者耶、慎曰、其地全為大洋、人之全活者僅八九人、蓋攀縁上頂而上者得免溺死云矣、上曰、爾入日本之後亦有地震乎、曰、臣自八月至九月留沙浦、其間二十日、地震無虚日、而震之掀人身体撒人房舎者、或十日一有之、其他小小之震、一日之内或有震再三者焉、沙浦近処人家四壁小無完土矣、
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
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