鳥居奉加帳
越之前州丹生郡蛇谷山田中天王鳥居再興勧化之状
(前略)
しかる所に天正十二年十一月下旬の大地震に、神社拝殿鳥居破却せり、翌年高橋良珍入道御宝殿を修理し奉つる、拝殿ハ天正十六年に太田氏小源五一吉造立し奉る、其後神社又頻破せしむるによって、慶長十九年に大見氏彦三郎元貞修理をくはへ、寛永十四年に当社神主高橋左京太輔八幡宮白山権現の社を造立し奉る、然りといへとも鳥居ハいまに建立し奉る人もなくわつかに石すへ計残ぬ、かほとの大社に鳥居のたいてんしたる事を某なけかしくおもひ奉り再興のわさを年来氏子の輩に憑之はけむといへとも鳥居広太にして其志をよひかたし、爰に橋本氏政実氏子たるにより、常に神徳に帰依渇仰し奉らる、其信心深きにもとつき某ならひに氏子中一同に政実の芳助を頼之造立奉かの意趣をはかるに政実のいはく、当社ハ歴代之帝王、并、高家のともから造営をなさしめ給ふに、今凡俗の奉加をすゝめて建立し奉らん事憚多し、其上後代に高家より御造立あらん妨にも成ぬへし、且ハ世人の嘲りも神社に恐れあらんと再三辞退せらるゝといへともすたれたるをおこす敬信の志なんそ尊卑のへたてあらん、却而後代高家の再興を招く便りにも成ぬへく思ひ、某ならひに氏子中しきりに政実を頼ミ、奉加を発起し、近里近国の貴賎をすゝめて、鳥居造立したてまつらん事ハ、天下国家の太平当今公方の御長久、殊には国主安全万民快楽の御祈祷のため成へし、一紙半銭も捨へからす、信心に奉加せしむるともからは七難即滅七福耶生の冥理にかなひ、諸願満足せしめん事何の類かあらん、仍勧化之状如件
寛文四、甲、辰、年 神主左京太輔
卯月日