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項目 内容
ID J00005099
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1512/09/13
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1512/09/23
和暦 永正九年八月四日
綱文 永正九年八月(西暦 1512,9,23)
書名 〔徴古雑抄続編〕○大日本史料九-四
本文
永正九年八月、洪浪の、宍喰浦中不残流失、所之城山へ逃上者数十人也、南橋より向の町分不残流失、志かれとも此所山近故、多人死無之、南町之男女凡三千七百余人死亡、助命之者都合一千五百余人、橋#北分町家ハ痛も無之、死人多有之、橋#向之町、今正梶田、地ナリト、、一家も不残流失、其上各屋敷者地悉掘流シ、一面川沿と成、住居成かたく、助命之者皆々当浦へ相集り、所之城主藤原朝臣孫六郎殿御取立これ有、
一御取立之諸寺社拾三ケ所也、内九ケ所寺院、五ケ寺真言、一ケ寺禅、弐ケ寺浄土、一ケ寺岡山薬師堂、四ケ所祗園社、一宮とも、八幡社、愛宕社、壱ケ所、南山之上へ今正梶之古愛宕と云、
一御城内分痛少、町家数百三拾家、十五軒城内分、、百十五軒家中、、
一町家千七百家、郷浦とも、、内六百五十軒配地百姓、、同千百五十軒丁家也、、
一先年#当浦東海辺大松原有之、竹松不残伐払、其外北南西二山林所々有之、伐出家作と云、
一惣合寺社家数千八百五軒、
永正十年十二月中旬此通相済書付也
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
備考 地震ノ記事ナシ、風津浪ナランカ、
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